連合国軍占領下の日本(れんごうこくぐんせんりょうかのにほん)では、第二次世界大戦終戦後からサンフランシスコ平和条約締結までの日本について記す。
目次
1 概要
2 統治
2.1 分割案
3 政策
3.1 政治
3.2 思想
3.3 領土
4 年表
5 関連項目
6 外部リンク
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大日本帝国は1945(昭和20年)年8月14日、ポツダム宣言の受諾を連合国に通告した。その翌日、昭和天皇はラジオで終戦の詔書を大日本帝国国民に発表した。8月15日、終戦記念日は、第二次世界大戦の終結と、日本国再建への長い道程の始まりであった。9月2日に、日本代表が戦艦ミズーリの船上で降伏文書を調印し、休戦協定が成立した。
第二次世界大戦後、イギリス連邦による協力を受け、アメリカ主導で組織された連合国軍は日本に進駐した。他国による進駐・占領は、日本史上初めてのことであった。1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約に調印し、日本は主権を回復した。
統治アメリカ国立公文書館の計画書による日本の分割統治計画案。
アメリカ大統領ハリー・トルーマンはダグラス・マッカーサーを連合国軍(SCAP:Supreme Commander of the Allied Powers)の最高司令官として任命した。日本では「連合国軍最高司令官総司令部」をGHQ(General Headquarters)と呼称する。日本に進駐した連合軍の大部分は米軍であったがイギリス連邦の諸国軍も進駐した。
日本の間接統治の最高機関として極東委員会を、最高司令官の諮問機関として対日理事会が設置されたが、実際はGHQが全面的に仕切ることになった。
戦争中、連合国軍はドイツと同様に日本の分割直接統治(東京23区は米中ソ英、近畿地方の大部分と福井県の一部は米中による共同統治)を計画していたが、天皇を通しての統治が簡易であるという重光葵の主張を受け入れ、最終案では日本政府を通じた間接統治の方針に変更した。
政治
象徴天皇制
一神教徒が多数を占める連合国軍にあって、天皇は神では無かった。連合国軍は人間宣言で天皇が神であることを明確に否定したが、天皇の権威は日本の統治に利用した。結果的に、日本は天皇の権威によって円滑に統治された。
戦争放棄
日本の戦力を奪うことで、日本の弱体化を目論んだ。後に、日本は朝鮮戦争期にアメリカの意向により戦力を保有することになるが、その解釈を巡って現在もなお日本国内で論争が続いてる。
学制改革
各都道府県に大学が創設される等、教育の一般化が行われた。しかし旧制によるエリート教育が失われた。
農地改革
小作人に農地を分け与え、小作人の生活を保障した。これによって、資産家は没落した。また、食料自給率低下の原因とされる。
財閥解体
「侵略戦争遂行の経済的基盤」になった財閥の解体による、第二次世界大戦以前の日本の経済体制の壊滅が目的とされる経済民主化政策である。
思想
東京裁判
敗者である日本が、勝者である連合国軍に裁かれた。裁判の体は成してはいない、 また、事後裁判であると評されることもある。
伝統文化の排斥
剣道や歌舞伎など「道」や神道に纏わる伝統文化の活動停止や組織解散や教則書籍の焚書などを行った。
ポツダム宣言には「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とされ、大日本帝国が統治していた地域のうち、外地(台湾・朝鮮)・租借地(関東州)・委任統治区域(南洋群島)を失った。
また内地についても、南樺太・千島列島を失い、南西諸島、小笠原諸島、伊豆諸島についても施政権が停止された(後に施政権を回復)。