近衛兵(このえへい)とは、君主を警衛する君主直属の軍人または軍団をいう。近衛府・御親兵・親衛隊・近衛師団・禁衛府・衛兵など、時代や国によってさまざまな名称がある。
君主制が廃止された国でも、歴史的経緯などから近衛兵や親衛隊などの名称が存続した例がある。ただし日本語では、「近衛」とは主に世襲の元首を警衛するものを指し、世襲ではない元首を警衛するものには通常この語を充てない。
本記事では、君主を警衛する近衛兵のほかにも、そこから派生した制度などについても紹介する。また過去においては兵権と警察権の区別が必ずしも明確でないことから、軍に属する兵卒以外についての記述も含まれる。
目次
1 日本
1.1 令制以前
1.1.1 連系氏族
1.1.2 舎人
1.1.3 門号氏族
1.2 令制の五衛府
1.3 令外官
1.4 六衛府
1.5 六衛府以外
1.6 武士等による御所警備
1.7 御親兵
1.8 明治から終戦まで
1.9 禁衛府
1.10 皇宮警察
2 中国
2.1 隋朝
2.2 唐朝
2.3 明朝
2.4 清朝
3 満州国
4 朝鮮半島
4.1 李氏朝鮮
4.2 大韓帝国
4.3 日本統治下の朝鮮
5 イギリス
6 ローマ教皇庁
7 フランス
8 スウェーデン王国
9 ロシア連邦
10 個別記事
11 関連項目
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元来、大王家と並ぶ氏族であった臣系豪族と違い、連系の豪族は古くより大王家に仕えてきた言わば譜代の氏族であって、大王家からの信頼も厚く、特に大伴氏や物部氏などは軍の中核であると同時に、近衛兵的な役割を担ってきたと考えられている。
5世紀又は6世紀頃に舎人の制度が確立した。屯倉が集中し大君家の経済的・軍事的基盤となっていた東国の国造の子弟を中核として、大君家に従属する舎人は大伴氏・物部氏の軍よりも更に天皇親衛軍の側面が強かった。舎人は後に兵衛府(つはものとねり)に引き継がれる。
靭負は西国の国造の子弟を中核として、宮城門の守衛に当たる軍である。
また、門部(かどべ)とは、宮城門を守衛する伴部のこと。宮城門にはその門の守衛を担う門部の名が冠せられてきたが、818年(弘仁9年)に殿門改号が行われて、唐風門号へ変更される。
大伴門(おおとももん)→応天門(おおてんもん)天忍日命の子孫とされる大伴氏が守衛する。
若犬養門(わかいぬもん)→皇嘉門(こうかもん)若犬養連が守衛する。
玉手門(たまてもん)→談天門(だってもん)壬生氏が守衛する。
佐伯門(さえきもん)→藻壁門(そえきもん)大伴氏と近親関係にある佐伯氏が守衛する。
伊福部門(いふきべもん)→殷富門(いふもん)伊福部氏が守衛する。
海犬養門(あまいぬかいもん)→安嘉門(あんかもん)海犬養連が守衛する。
猪使門(いかいもん)→偉鑒門(いかんもん)猪養氏が守衛する。
丹治比門(たじひもん)→達智門(たっちいもん)火明命の子孫とされる丹治比連(丹比氏)が守衛する。
山部門(やまべもん)→陽明門(やんめもん)山氏が守衛する。
健部門(たけるべもん)→待賢門(たけもん)建部氏が守衛を担当する。
的門(いくはもん)→郁芳門(いくふもん)的氏が守衛する。
壬生門(みぶもん)→美福門(みぶもん)壬生氏が守衛する。
令制の五衛府
衛門府 (えもんふ・ゆげいのつかさ)
靫負の伝統を受け継ぐ門部を中核として併せて衛士も配属する。太古より宮城の門の警備を担ってきた氏族であることから、衛門府と称せられた。職掌は宮門を守衛し通行者を検察する。758年(天平宝字2年・淳仁天皇)に、藤原仲麻呂による官号の唐風化の一環として司門衛と改称したが、藤原仲麻呂失脚後の764年(称徳天皇)に再度、衛門府に改称される。808年(大同3年)に左右衛士府に統合された。
職員は以下の通り
督(従四位下相当)
佐(従五位下相当)
大尉(従六位下相当) 少尉(正七位上相当)
大志(正八位下相当) 少志(従八位上相当)
医師(正八位下相当)
門部 宮門を守衛