軍法会議(ぐんぽうかいぎ、Court Martial)とは、主として軍人に対し司法権を行使する軍隊内の機関。一般的には軍の刑事裁判所として知られる。
目次
1 一般
1.1 大日本帝国陸海軍
1.1.1 沿革
1.1.2 制度趣旨
1.1.3 構成
1.1.3.1 軍法会議の種類
1.1.3.2 判士制度
1.2 自衛隊
1.3 アメリカ合衆国
1.4 その他の国
2 軍法会議と自決(日本)
3 軍法会議の副産物
4 軍法会議の問題点
5 軍法会議を取り扱った作品
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軍法会議とは軍法を根拠として主として軍人に対し司法権を行使する軍隊内の機関である。
軍隊は、一般的に軍法会議が設置されているのが普通で、その目的は軍規(軍隊構成員の規律)を維持することにあり、副次的に(近代の軍法会議では)軍人の権利の擁護もある。(ただし、軍規の維持は軍法会議のみで達成されるわけではなく、軍隊内の警察機関、検察機関、裁判機関及び矯正機関を含めた司法機関全体により達成される。)
人類は、軍規を維持する機関を古代から有しており、日本でも戦目付にそれを見ることができるが、軍法会議については、イングランドのエドワード1世の法律(1279年)に軍法会議の規定を見つけることができる。しかし、近代の軍法(会議)は、スウェーデンのグスタフ2世の法典(1621年)が始まりといわれ、諸国に影響を与えた。
裁判管轄、行使する司法権その他各種制度機構は、国により異なる(例えば、大日本帝国は行使する司法権を軍事司法権として一般の司法権と完全に独立していたが、アメリカ合衆国は独立していない。また、常設でない国もある)。
「特別裁判所」の設置を否定している日本国憲法第76条第2項との関係で、日本国には軍法会議が存在しないため、報道その他マスコミでは軍事裁判と訳されることもある。また、自衛隊が軍隊であるか否かについて議論されることがあるが、軍隊ではないとする側は、その理由のひとつとして軍法会議とその根拠となる軍法が存在しないことをあげている。
日本の軍法会議は、1869年に兵部省に置かれた「糺問司」をはじめとする。その後、1872年に陸海軍に「軍事裁判所」が設置され、1882年には「軍法会議」になった。1883年には「大日本帝国陸軍治罪法」(刑事訴訟法に相当する)、1884年には「大日本帝国海軍治罪法」が制定され、1921年に「陸軍軍法会議法」・「海軍軍法会議法」と改正された。
1941年に太平洋戦争が始まると、1944年7月までに高等軍法会議を除く、全ての常設軍法会議は廃止され、臨時軍法会議に移行した。戦局の悪化と共に、敵中に孤立する部隊が増加し、1945年になると法務官不在でも軍法会議が開廷できるように処置された。内地の軍法会議は1945年12月に廃止され、その記録は全て地方裁判所に移管された。外地においては1947年2月まで、軍法会議は存続し、終戦後でも、敵前逃亡や上官殺傷などで審判が行われる例は少なくなかった。
「第一復員裁判所及第二復員裁判所令」(1945年11月24日勅令第658号)により、高雄警備府軍法会議を除く軍法会議が廃止され、復員裁判所が臨時に設置された。更に「昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク陸軍軍法会議法、海軍軍法会議法及第一復員裁判所及第二復員裁判所令廃止ニ関スル件」(1946年5月18日勅令第278号)が制定され、日本の軍法会議制度は完全に消滅した。ウィキソースに ⇒第一復員裁判所及第二復員裁判所令の原文があります。ウィキソースに ⇒昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク陸軍軍法会議法、海軍軍法会議法及第一復員裁判所及第二復員裁判所令廃止ニ関スル件の原文があります。