この項目はその主題が日本に置かれた記述になっており、世界的観点からの説明がされていない可能性があります。ノートでの議論と記事の発展への協力をお願いします(Template:国際化)。
軍旗(ぐんき)とは、広義においては、軍隊が国軍又は部隊を表章する旗章を指す。狭義においては、陸軍の連隊のそれを指す。海軍のそれについては「軍艦旗」を参照。
近代的軍隊創設以降は伝統的に連隊を恒久の基本的部隊単位としてきたことから(詳しくは連隊参照。)、連隊ごとに授与されるものが有名で連隊旗とも通称される。大日本帝国陸軍においては、連隊に授与される旭日旗を「軍旗」と呼称した。陸上自衛隊では自衛隊旗という。
目次
1 概説
2 大日本帝国陸軍
2.1 歴史
2.2 軍旗の扱い
2.3 軍旗に関する敬礼
2.4 軍旗の奉焼等
2.5 難を逃れた軍旗
3 陸上自衛隊
3.1 旗の種類
3.2 自衛隊旗
3.3 自衛隊旗以外の隊旗
4 ドイツの軍旗 1918年-1945年
5 文献
6 関連項目
7 外部リンク
//
軍旗は、部隊長の所在を明示する目的や部隊の精神的支柱として古くから用いられてきた。ローマ帝国でも各軍団に固有の軍旗を有していた。
日本陸軍のみならず、多くの国の陸軍において軍旗は部隊の精神的支柱として神聖なものと考えられ、原則として再交付は許されず、敵の軍旗は鹵獲の対象となった。また、敵軍に軍旗を奪われることは大変な恥辱とされ、軍旗は命を賭して守護すべきものであると考えられる傾向があった。
原則として軍旗の再交付を認めなかった軍としては、ナポレオン時代のフランス軍や、日本陸軍などがある。
かつては戦場で連隊長のあるところには常に軍旗が掲げられ部隊の所在を明示していたが、通信機器の進歩により意味を失い、また連隊本部の所在を敵に示してしまうことから現在では戦場に掲げられることはなくなった。
中華民国の軍旗
ナチス・ドイツ軍旗(Reichskriegsflagge 1935-1945)
十六条旭日旗が使用された。但し、海軍の軍艦旗とは異なり、旭日が中心に位置するもので、旗竿側の下部は白抜きになっており、連隊名が記入された。
歴史
1870年(明治3年)5月15日 太政官布告により「陸軍御国旗」が定められる。これは、縦4尺4寸で横5尺の房なし十六条旭日旗である。
1874年(明治7年)1月23日 初めて軍旗が近衛歩兵第1連隊及び近衛歩兵第2連隊に親授された。
1879年(明治12年)12月2日 太政官布告第130号により、1870年5月15日制定の陸軍御国旗が廃止され、替って陸軍歩兵・騎兵・砲兵連隊の軍旗が定められる。この歩兵連隊軍旗は縦2尺6寸4分で横3尺、騎兵・砲兵連隊軍旗は縦横2尺1寸の紫房の十六条旭日旗である。但し、騎兵連隊・砲兵連隊は実際には編成されていなかったので、授与されていない。
1885年(明治18年)1月10日 太政官布告により、砲兵連隊軍旗が廃止される一方、後備歩兵連隊軍旗も制定される。後備歩兵連隊軍旗は赤房である。
騎兵大隊が騎兵連隊に改編されるのに伴って、1896年(明治29年)11月18日に初めて騎兵連隊に軍旗が授与される。
軍旗は天皇から親授されたものであり、天皇の分身であると認識され、たいへん丁重に扱われた。天皇から親授された極めて神聖なもので、軍をあらわす旗という意味以上の存在とされた。軍旗の物品管理上の扱いは「兵器」であった。 ちなみに陸上自衛隊では勿論「武器」ではない。
最初に軍旗を親授される際は、「軍旗親授の儀」(皇室儀制令(大正15年10月21日皇室令))により、正装・大礼服着用の上、諸式にのっとり宮中にてとりおこなわれた。
連隊旗手は、新任の少尉、稀に中尉が務める。旗手の要件は長身、眉目秀麗・成績優秀であることが求められ、また暗黙の要件として童貞で、悪所通いをしない高潔な人物が選ばれた、軍旗には誘導将校や軍旗衛兵が付され、また戦場では軍旗を守護するために1個中隊が編成された。軍旗に対しては、天皇に対するのと同様の敬礼が行われた。日本陸軍においても、他国の陸軍と同様又はそれ以上に軍旗が神聖視され、軍旗を喪失することは極めて重大な失態と考えらた。軍旗奪還のために無謀な作戦を行い却って部隊が全滅に近い損害を受けるなど本末転倒ともいうべき事態も発生した。
また、完全に失われない限り、新しく下賜されることはなかったため、歴史の古い連隊になると日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などを経てぼろぼろになり、かろうじて房だけ残っているという連隊もあったという。