この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年2月)
軍事(ぐんじ、(英: military affairs、羅: res militaris)とは、戦争・軍人・軍隊などに関する事柄の総称である[1][注釈 1]。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年2月) 軍事は、公共的利益と政治的な重要性を伴うものである。軍事は民事[注釈 2]と共に国際関係を扱う分野の一つであり、外交や経済などと並ぶ政府の主要な行政機能の一つに位置づけられる[2]。軍事がなぜ公益と重要性を伴っているかを理解する上で、フィレンツェの政治思想家であるニッコロ・マキアヴェリの見解が参考となる。彼は『政略論』において「戦いに訴えねばならない場合に、自国民からなる軍隊をもっていない指導者は国家は恥じてしかるべきだと思う」と論じている。なぜならば、自らの安全を自力で確保する意志がなければ、国家の独立と平和を期待することはできないからである[注釈 3]。戦争が勃発することは不可避であり、それに対処するために軍備が必要であるという現実主義の政治思想は軍事の基本的な考え方となっている。 軍事の基本的な問題とは軍隊の根本的な任務である戦争における戦闘に勝利することにあると要約することができる[注釈 4]。ただしこの基本的な問題に関しても幅広い視角が存在している。例えば自然科学の視角から軍事問題を観察すれば、戦場の地理学的特性、戦闘で使用される武器や兵器などの工学的性能、戦闘力や戦闘行動の数学的な性質などの側面が認められる[注釈 5]。これに社会科学の視点を導入すれば、戦闘行動をより大局的な観点から指導している国家の安全保障政策や国際法との関係、軍隊を支える国家の行政機能、戦闘を組織化する戦略と戦術、そして作戦計画を具体化するための補給や輸送、通信などの兵站活動などの多くの側面があることが分かる[注釈 6]。さらに人文科学の視座を持ち込めば、戦争に関する文学的記述、戦闘の様相に関する歴史的観察、戦闘における兵士の心理的反応などの着眼点も指摘することができる[注釈 7]。つまり軍事とは軍隊の活動である戦争と戦闘において勝利するための諸々の問題であるが、広義においては上記で述べたような複雑な諸問題を含んでいる。 複雑さに加えて軍事という問題は時代に応じて流動的である。軍隊の使命は歴史を経て変化しつつあり、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが『歴史』で叙述したペルシア戦争において軍隊は敵の軍隊を殲滅することのみを使命としていた[3]。しかし近代においてポーランドの戦争研究者イヴァン・ブロッホは『将来の戦争
概要
軍事の全般的な理解のために、ここでは主に社会科学の見地から述べており、そのため本項目では軍事に関する基本的な主題を戦争、軍事システム、戦争能力、軍事ドクトリンとまとめている。これら四つの主題に沿って、戦争の理論的枠組み、戦争の一つの形態である総力戦、制限戦争、ゲリラ戦の特性、戦争の政治理論としての国際政治の問題、戦争法の枠組み、国防の基本概念、軍隊の制度的成り立ち、指揮統制の基本システム、軍事教育のあり方、政府と軍隊の関係、軍事能力の機能と種類、陸上戦力、海上戦力、航空戦力の概念、軍事力を支える経済的基盤、そして軍事行動を指導する安全保障政策、軍事戦略、戦術、兵站、そして戦争以外の作戦について説明する。詳細については個別の記事で述べている。また本項目では取り上げられなかった戦争や軍隊、戦闘の歴史的説明については軍事史を、工学的見地に基づく諸々の装備については兵器を、各国の軍事情勢については各国の軍事や各国の軍隊の一覧から該当する記事を参照されたい。
戦争
戦争理論詳細は「戦争」および「戦争哲学」を参照
戦争が国家の存亡を決定する極めて重大な出来事であることは古来から『孫子』が論じてきたことである。戦争において国家は敵の軍事力によって安全を脅かされる事態に直面するのであり、それは領土や都市の破壊と占領、国民の生存とその財産所有権の侵害、政治的自由や独立の制限などの方法で行われる[注釈 10]。同時に戦争は社会現象の中でも特に分析が難しい複雑な主題の一つであり、戦闘などの軍事的な出来事だけで生じるのではなく、対外政策や国内での政治過程などの政治的文脈に基づいて生起するものである。しかもその展開においては戦時特有の動員や生産などの経済的要素、国民心理などの社会的要素と関連するものである。しかも戦争は敵国と自国の相互作用によって生じた結果であるため、戦争において最適な意思決定が何であるかを明確に理論化することはできない[注釈 11]。つまり重大な戦争の原因とその実態を理解するためには、その複雑性を概観できる理論的な把握が必要となる。
プロイセンの軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』において戦争の一般理論を構築した戦略家である。彼は二人の間での決闘に戦争をなぞらえた上で、戦争とは「敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」と説明しようとした。そして戦争において生じる暴力は相互作用によって無制限に極大化する法則があることを明らかにした上で、そのような戦争を絶対戦争として定式化した。絶対戦争では軍事的な合理性の下であらゆる事柄が徹底的に合理化され、最大限の軍事力が敵を殲滅するために使用されることになる。ただし戦争は単に軍事において完結する現象ではないことにクラウゼヴィッツは注意を払っており、この絶対戦争のような形式が現実に起こっている戦争とは異なることを認識していた。つまり戦争は固有の法則に従って無制限に暴力性を高めるだけではなく、その戦争行為を制限することができる政治的目的を伴うものである。戦争の発生には必ず外交的または経済的、心理的な情勢が起因しており、あらゆる戦争は政治的目的を究極的には達成しようと指導されるものである[5]。このクラウゼヴィッツの戦争理論は「戦争は他の手段を以ってする政治の継続である」と理解されており、戦略研究では広く参照されている。
しかし現代の戦略研究ではクラウゼヴィッツが前提としていた主権国家による戦争が戦争の全てではないことが分かっている。非国家主体によって戦争が遂行される可能性を提唱したのは社会主義の政治イデオロギーを掲げて革命戦争を指導したマルクス主義者たちであった。レーニンはクラウゼヴィッツが定式化した戦争と政治の関係を再解釈し、政治を武力によらない戦争、戦争を武力による政治であると捉えて革命戦争の理論に適用した。このことでパルチザン部隊による戦争の形態が成立することになり、国家と国家の戦争という図式は陳腐化することになった[注釈 12]。またクラウゼヴィッツに対する批判を展開する戦略研究者のマーチン・ファン・クレフェルトは『戦争の変遷』において戦争の歴史的事例に基づいて理論を構築している。クラウゼヴィッツの戦争理論での国家の前提は政府、軍隊、国民から成立している三位一体の戦争モデルであったが、クレフェルトは非三位一体の戦争が存在することを指摘しており、したがってクラウゼヴィッツの理論が主権国家による戦争に限定されたモデルであると論じている。