赤沢 正道(あかざわ まさみち、明治40年(1907年)7月26日 - 昭和57年(1982年)1月20日)は日本の実業家、政治家。正三位勲一等。鳥取県米子市名誉市民。
政治家赤沢亮正は孫。
目次
1 来歴・人物
2 その他
3 家族
4 参考文献
5 脚注
6 外部リンク
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来歴・人物
鳥取県米子市西倉吉町に赤沢康平[1]の三男として生まれる。東京帝国大学法学部政治学科卒業後、赤沢組社長、陸軍歩兵中尉、米子瓦斯社長等を経て1946年戦後初の総選挙で衆議院議員に初当選。
翌年公職追放になったが解除後1953年の総選挙で返り咲き衆議院議員当選9回。通算24年10ヶ月勤続した。三木派に属し三木武夫の盟友として知られた。第3次池田内閣、第2次佐藤内閣第1次改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長として入閣した。1982年死去。戒名は大徳院殿晴雲仁覚正道大居士。
その他
趣味は読書、スポーツ、剣道。宗教は真言宗。
自治大臣当時の昭和39年、養子にした孫の赤沢亮正の実家、栃木県今市にある森病院で当時2000万円の脱税が発覚。娘婿の森亮一の依頼で、当時の木村秀弘国税庁長官に直接電話をかけ脱税事件の処理を依頼。当時国会でも現職大臣の脱税もみ消し事件として問題となり大きな事件として取り上げられたが、結局事件はそのままウヤムヤにされたままである[2]。
家族
妻:貞子(鳥取県、医師西川清一妹)
娘:薫子
脚注^ 2006年08月20日の日本海新聞紙面によると、康平は若手の政治家志望者を集めては指導していたという
^ 『不撓不屈』182頁に、「…御殿山病院の波木院長から呼び出しを受けた。“森病院の件は呆気なく済んじゃった。縁戚の自民党の赤沢代議士に連絡して、赤沢さんから木村長官に一本電話を入れたら、長官から鹿沼税務署に電話が来て、あわてふためいた総務課長が森さんの家にすっ飛んで来たらしい。それで、どうもご心配かけて済みませんでした、で一件落着ですよ。森病院の二千万円の件はパーになっちゃった。飯塚さんも、この流儀でやれば、どうってことなかったのにねぇ”。…国税庁の長官自ら脱税に与していたことになる。飯塚は返す言葉がなかった。…」という記述がある
外部リンク
⇒鳥取県郷土人物文献データベース--赤沢 正道
⇒参議院会議録情報 第034回国会 社会労働委員会 第24号
⇒衆議院会議録情報 第058回国会 本会議 第33号
先代:
早川崇
藤枝泉介自治大臣
第7代:1964年
第14代:1967年 - 1968年次代:
吉武恵市
野田武夫
先代:
早川崇
藤枝泉介国家公安委員会委員長
第17代:1964年
第24代:1967年 - 1968年次代:
吉武恵市
荒木万寿夫
表・話・編・歴歴代の総務大臣(郵政大臣・自治大臣・総務庁長官)
郵政大臣
小沢佐重喜 - 田村文吉 - 佐藤栄作 - 高瀬荘太郎 - 塚田十一郎 - 武知勇記 - 松田竹千代 - 村上勇 - 石橋湛山 - 平井太郎 - 田中角栄 - 寺尾豊 - 植竹春彦 - 鈴木善幸 - 小金義照 - 迫水久常 - 手島栄 - 小澤久太郎 - 古池信三 - 徳安実蔵 - 郡祐一 - 新谷寅三郎 - 小林武治 - 河本敏夫 - 井出一太郎 - 廣瀬正雄 - 三池信 - 久野忠治 - 原田憲 - 鹿島俊雄 - 村上勇 - 福田篤泰 - 小宮山重四郎 - 服部安司 - 白浜仁吉 - 大西正男 - 山内一郎 - 箕輪登 - 桧垣徳太郎 - 奥田敬和 - 左藤恵 - 佐藤文生 - 唐沢俊二郎 - 中山正暉 - 片岡清一 - 村岡兼造 - 大石千八 - 深谷隆司 - 関谷勝嗣 - 渡辺秀央 - 小泉純一郎 - 宮澤喜一 - 神崎武法 - 日笠勝之 - 大出俊 - 井上一成 - 日野市朗 - 堀之内久男 - 自見庄三郎 - 野田聖子 - 前島英三郎(八代英太) - 平林鴻三 - 片山虎之助