衆議院議員 赤松 広隆
生年月日1948年5月3日(60歳)
出生地愛知県名古屋市
出身校早稲田大学政治経済学部
学位・資格経済学士
前職会社員
所属委員会
内閣役職衆・決算行政監視委員会委員
世襲2世
父・赤松勇(衆議院議員)
選出選挙区比例東海ブロック(愛知県第5区)
当選回数6回
所属党派民主党(横路グループ)
党役職選挙対策委員長
会館部屋番号衆・第二議員会館403号室
⇒衆議院議員:赤松広隆オフィシャルウェブサイト
赤松 広隆(あかまつ ひろたか、1948年5月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。
日本社会党書記長、民主党国会対策委員長、同党副代表などを歴任。
目次
1 経歴
2 政治信条
3 エピソード
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
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衆議院議員で日本社会党の国会対策委員長や副委員長を歴任した赤松勇の長男として生まれる。
東海中学、早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。高校・大学の同級生に松村久義がいた。 大学卒業後は日本通運に勤務した。
18歳で社会党に入党。 1979年4月の統一地方選で愛知県県議会議員選挙に出馬し当選、その後連続3回当選。
1990年2月の県議任期中に衆議院議員選挙に愛知6区から出馬し初当選。 1991年7月に就任した田邊誠委員長の下で党労働局長に就任。
1993年1月、田邊委員長が自民党の金丸信との関係を問われて辞任し、書記長の山花貞夫が新委員長に就任すると、後任の書記長に起用される。当選1回、45歳の若さでの書記長就任は党内外に衝撃を与えた。 山花とともに党の基本方針見直しに意欲を示し、同年2月に党の方針と反するコメ関税化肯定、原発容認を表明し、党内から批判を浴びる。
同年7月の衆院選で2度目の当選を果たすが、社会党は日本新党や新党さきがけなどの新党ブームに埋没して議席を約半減させる惨敗だった。 同年8月、社会党を含む非自民・非共産8党派による細川連立内閣が発足したが、惨敗の責任を問われて9月に山花が委員長を辞任したのに伴い書記長を辞任。後任の委員長には村山富市、書記長には久保亘が就任した。
同年12月、党内中間派・右派を中心に結成された政策集団「デモクラッツ」(衆参議員ら約40人)に参加し、事務局長に就任。 1994年4月、社会党が連立から離脱した羽田内閣の発足後、6月の自社さ連立による村山内閣の発足に至る過程では、非自民連立への復帰を志向し、自民党との連立に抵抗した。
1996年9月、社会民主党(1996年1月日本社会党から改称)を離党し鳩山由紀夫、菅直人らによる旧民主党結成に参画。同年10月、小選挙区比例代表並立制で初めて行われた衆院選に愛知県第5区から出馬し3度目の当選を果たす。
1998年4月、旧民主党に民政党、新党友愛、民主改革連合が加わった新民主党に参加。
2000年9月には鳩山由紀夫代表の下で国会対策委員長に就任し、森喜朗首相に対して2度に亘って内閣不信任決議案を提出するもいずれも否決された。
2002年9月、党代表選で鳩山代表が再選し、役員改選で選挙対策委員長に就任。同年12月、自由党との合併をめぐる混乱の責任をとって鳩山は代表を辞任したが、後任に返り咲いた菅直人代表の下でも選対委員長に留任した。2004年5月、菅代表の辞任に伴い選対委員長を辞任。
2005年9月の衆議院選では、小選挙区で自民党現職木村隆秀に敗北し、比例復活で当選。同月、前原誠司新代表の下で副代表に就任した。
2006年9月、小沢一郎代表の下で副代表、政権政策委員長を歴任し、2007年8月、党選挙対策委員長に就任。
一貫して外国人への参政権付与を推進する立場を取っており、2008年1月には在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」に参加。