貴乃花 光司
四股名貴乃花 光司
本名花田 光司
生年月日1972年8月12日(36歳)
出身東京都中野区
身長185cm
体重154kg
所属部屋藤島部屋→二子山部屋
成績
現在の番付引退
最高位第65代横綱
生涯戦歴794勝262敗201休(90場所)
幕内戦歴701勝217敗201休(75場所)
優勝幕内優勝22回
幕下優勝2回
賞殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞3回
データ
初土俵1988年3月場所
入幕1990年5月場所
引退2003年1月場所
備考
金星1個(千代の富士)
2008年7月10日現在
表・話・編・歴
貴乃花親方(2005年春場所)
貴乃花 光司(たかのはな こうじ、本名:花田 光司(はなだ こうじ)、1972年(昭和47年)8月12日 - )は大相撲の第65代横綱。
現在は、一代年寄・貴乃花 光司として貴乃花部屋(二所ノ関一門)の師匠および、日本相撲協会の役員待遇委員・審判部副部長を務めている。
目次
1 人物
1.1 少年相撲-中学相撲
1.2 相撲人として
1.3 横綱時代
1.3.1 不振
1.3.2 復活
1.3.3 長期休場、そして引退へ
1.4 引退
1.5 親方、そして現在
2 略歴
3 幕内での場所別成績
4 成績
4.1 最年少記録
4.2 主な対戦成績
5 家系図
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
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父は元大関の貴ノ花利彰、母は女優の藤田憲子。兄はタレントの花田勝(元第66代横綱・若乃花)。妻は元フジテレビアナウンサーでタレントの河野景子。初代若乃花(第45代横綱)は伯父(父の兄)。二代目若乃花(第56代横綱)はかつて義理のいとこ(伯父の娘婿)だった。
当人や周囲の回想によれば、相撲に身を入れ始めたのは、父の現役引退が契機だったという。
父をしたって部屋によく遊びにきていた鎌苅忠茂少年(のち入門して四股名を貴闘力)には、兄の勝ともどもかわいがられ、部屋の稽古場で相撲を取ることもあった。
小学5年生の時、わんぱく相撲の全国大会に優勝、わんぱく横綱として土俵入りを行っている。これを入れるならば、蔵前国技館と新両国国技館の両方で横綱土俵入りを行ったひとりということになる。
明大中野中に進学。同相撲部で受けた廻しの切り方などの技術面の指導は、のちの躍進に大きく寄与したとされている。
入門当時からその優れた素質が話題となり、前評判に違わず数々の最年少記録を打ち立てた。新弟子検査時には「これは新弟子の体じゃない、今すぐ幕下でも通用する」と新弟子検査担当の親方たちから驚嘆されるほど既に体作りの基礎ができていた。新十両に昇進した当時も出世に髪の伸びる早さが追いつかず大銀杏が結えず、ちょんまげ姿で土俵に上がった。
兄若乃花とともに「若貴ブーム」を起こし、ライバル曙らと数々の名勝負を演じた。
優勝22回は歴代4位タイの記録であり、平成の大横綱と称されている。
現役中、受けて立つ万全の四つ相撲を得意とした。いわゆる「横綱相撲」なのであるが、細かい技を組み合わせて相撲を取っているために見た目決めてかかる技がない事や、当時は千代の富士の先に勝負を仕掛ける攻撃相撲のために既に横綱像も本質的に変化していた事などが相まって、存在感はあってもずば抜けた力強さや威圧感はないと評された事もあった。場所の序盤から中盤で優勝争いのトップに立てば独走する一方、千秋楽までもつれたときや優勝決定戦での敗退の多さが、「ここ一番での勝負弱さ」を印象付けることにもなった。このため「並の名横綱」との評価もある。22回もの優勝を果たしながら期待ほどの優勝回数ではなかったとも評されるのは、若手の頃の期待感の大きさを表すものでもある。
これらの批判に対し「基本に忠実であることが貴乃花の得意」「貴乃花は得意のないのが得意」という評価もあった。全盛時の相手に得意の技を全く出させず着実な寄り身で完封してしまう取り口は、まさに貴乃花の相撲の真骨頂であった。また、貴乃花の時代には同時期に多くの外国人力士の強力なライバルが存在したため、それまでの横綱たちと同列に評価することが不可能であることも事実である。