豚肉(ぶたにく)とは、豚の肉。ポーク(英語 pork )とも呼ばれる。食肉にされる。日本においては、地域によらず平均的に食べられている。[1]
目次
1 日本での歴史
2 食用部位
2.1 生食の危険性
2.1.1 E型肝炎
2.1.2 条虫感染症
2.2 SPF豚(健康豚・健全豚)
3 豚肉のタブー
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク
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日本では弥生時代の遺跡から出土した従来イノシシと思われた骨が豚の骨と判明した。古墳時代の遺跡からも豚の骨は出土している。『日本書紀』、『万葉集(萬葉集)』、『古事記』に猪飼、猪甘、猪養などという言葉があり(「猪」は中国ではブタのことを指す)、その当時は日本でも豚の飼育が行われていたことが伺える。
その後、天武天皇5年675年に最初の肉食禁止令がだされ、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・ニホンザル・ニワトリ・イヌ)の肉を食べてはいけないとされたがこれに豚はふくまれていなかった。戦国時代にキリスト教イエズス会の宣教師たちが、キリシタン大名たちを介して肉食の慣習を日本に持ち込んだため、一時的に豚肉が食べられるようになった。
やがて日本本土では豚肉を食べる習慣は廃れたが、南西諸島の琉球王国では中国と同様、日常的に養豚が為されていた。そして琉球人たちはハレの日には豚肉を食べていた。こういった当時からの本土との習慣の違いにより、沖縄県では豚肉料理が特に発達している。沖縄で飼育されている豚は、1385年に渡来したという琉球王国時代より続く血統の黒豚「アーグ」が有名。「アグー」または「シマウヮー(“島豚”の意)」とも。
また琉球だけでなく、薩摩地方でも豚は飼育され食用にされていた。1827年の佐藤信淵著『経済要録』には、薩摩藩の江戸邸では豚を飼育し、それによって取れた豚肉を町で売っていたという記録が為されている。また、江戸ではももんじ屋などで食べられた。1845年5月2日の書簡によれば、江戸幕府最後の征夷大将軍・徳川慶喜は、島津斉彬から父・徳川斉昭宛てに豚肉が送られていたという。そのせいか、彼は豚肉を好んで食べており、下々の者たちから「豚一様」と呼ばれていた。「豚一様」とは、「豚肉がお好きな一橋様」の略称である。
新選組も西本願寺駐屯時に、松本良順の勧めで神戸から子豚を持ち込んで養豚し、食べていた。豚の解体は木屋町の医者・南部精一の弟子に依頼していた。福澤諭吉著『西洋衣食住』には、緒方洪庵の適塾にて学ぶ塾生たちも豚を食べていたとの記録が為されている。
明治維新以後は日本全土で豚肉が一般に食べられるようになり、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にもそのことに関する記述が見られる。特に関東大震災後の関東地方ではにわかに養豚ブームが起き、豚肉の供給量が増え安価になったため、庶民たちにも比較的手の届くものとなった。関東を中心とする多くの地方で「肉」と言えば豚肉のことを指すようにもなった。なお、関西で「肉」と言えば牛肉のことを指し、豚肉は「豚」と呼ばれる事が多い。従って関西では、豚肉などを使った中華まんのことを「肉まん」とは呼ばず「豚まん」と呼ぶ。
豚肉の部位は、農林水産省が定めた「食肉小売品質基準[2]」によって以下の7部位で表示するよう統一されている。
豚ヒレ
豚ロース
豚かた
豚かたロース
豚ばら
豚もも
豚そともも
法律上は定まっていないが、以下の部位も広く知られている。
豚トロ - 頬下部から首の脂身の肉
ガツ - 胃
シンタン - 心臓と舌
ハツ - 心臓
豚足 - 足首から先の足部
牛肉と比べて、安価なイメージのある食肉だが、黒豚や高座豚といった由緒正しき血統を持つ豚からしか取れない高価な銘柄肉も存在する。
豚自体が保有している豚ヘルペスウィルスやトキソプラズマ、E型肝炎などの感染症にかかる恐れがある。更に、と畜流通段階に於いては、カンピロバクター、リステリアほかの食中毒原因菌汚染の可能性がありる、後述のSPF豚肉といえども加熱調理は必須。