警察予備隊
警察予備隊本部長官詳しくは防衛大臣を参考。
組織
(1952年7月31日現在)
本部の組織長官官房、警務局、人事局、装備局、経理局、工務局、医務局
本部の組織
(附置)警察予備隊建設部、警察予備隊地方建設部4
総隊総隊総監部、総隊総監部直轄部隊、管区隊4
概要
本庁所在地
定員・定数
年間予算額
設置年月日1950年(昭和25年)8月10日
後身保安庁、防衛庁、防衛省
警察予備隊(けいさつよびたい、英語表記:National Police Reserve)とは、1950年(昭和25年)8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)により設置された、警察力の不足を補うための武装部隊。1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組されて消滅した。
警察といっても実態は小規模な軍隊であり、装備はM1ガーランド小銃、戦車(当時の呼称は言い換えにより特車)、など本格的で、組織的には警察とは独立して総理府に直轄し内閣総理大臣の指揮を受けた。
目次
1 創設の経緯
2 組織の概要
3 保安庁への移管
4 警察予備隊の警察官の階級
5 その他
6 関連項目
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1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争において、アメリカ軍は日本駐留部隊を朝鮮半島に出動させることとなった。その時点で日本駐留陸軍部隊は第8軍の4個師団(第1騎兵・第7歩兵・第24歩兵・第25歩兵)であり、九州駐留の第24歩兵師団は直ちに移動を開始している。その後、7月上旬には第8軍全部隊が朝鮮半島に移動することとなり、日本における防衛兵力・治安維持兵力が存在しないこととなった。
7月8日にGHQより日本政府へ、75000人の「National Police Reserve」創設に関する書簡が渡されている。これに基づき「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)を8月10日に公布、13日より人員の募集を開始した。
創設の目的については、マッカーサーは在日米軍を補完するために指示したとされている。「Reserved Police」と表現されていた事から、アメリカの州兵のような性格の部隊を想定していたのではないかと考えられる。
なお、日本に軍備を再び認める事は、時の陸軍長官ケネス・ロイヤルから国防長官ジェームズ・フォレスタルに提出された答申「日本の限定的再軍備」で1948年5月に確認された既定の事項だった(逆コース)。
警察予備隊令第9条には内閣総理大臣の他に担当大臣を置ける旨の規定があり、実際に1951年(昭和26年)12月26日から1952年(昭和27年)7月31日まで国務大臣大橋武夫がその任に当たった。
長は警察予備隊本部長官(認証官。国務大臣でなく官僚。)であり、創設の1950年(昭和25年)8月14日から廃止される1952年7月31日まで?原惠吉(後年、防衛庁長官)が務めた。
長官を補佐する警察予備隊本部次長には、同じく1950年8月14日付けで江口見登留が任命された。
制服組の長としては、内務官僚出身の林敬三が充てられた。まず、1950年10月9日に警察予備隊中央本部長(仮称)に任じられた。同年12月29日に警察予備隊中央本部長(仮称)は総隊総監に改称された。総隊総監は後の第1幕僚長(保安庁時代)や陸上幕僚長(防衛庁時代)に相当する。
中央に警察予備隊本部(約100名)が置かれ、これが内閣総理大臣の幕僚機関となった。実力部隊としては警察予備隊総隊(約7万5千名)が置かれた。総隊の司令部機能は総隊総監部が担った。そして、4つの管区隊(約1万5千名で師団に相当する。)に分かれていた。
1952年4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効し、警察予備隊令を含むポツダム命令は原則として180日以内に失効することとなったが、警察予備隊令については同年5月27日の改正により「当分の間、法律としての効力を有する」ものとされた。
しかし、法的根拠の明確化・体制整備等を図るためには新法による組織構築が必要と考えた政府は、海上警備隊を統合する保安庁構想の下、保安庁法(昭和27年法律第265号)を成立させ、同年8月1日に保安庁を発足させた。
警察予備隊はのちの防衛省の内部部局に相当する「本部」、陸上幕僚監部に相当する「総隊」、陸上自衛隊に相当する「管区隊以下の部隊等」に分けられ、本部と総隊はそれぞれ保安庁内部部局と第一幕僚監部への移行と同時に廃止されたが、部隊等は(後継となるべき保安隊の始動が8月1日に間に合わなかったため)10月14日までの2か月半に限り「警察予備隊」の名称のまま保安庁の下部組織として存続(総理府から移管)され、10月15日の保安隊発足に伴い正式に完全廃止となった。