誉田御廟山古墳
国土交通省 ⇒国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
位置 ⇒北緯34度33分45.36秒
東経135度36分33.16秒
所在地大阪府羽曳野市誉田
形状前方後円墳
規模全長420m(全国2位)
高さ36m(体積全国1位)
築造年代5世紀初頭
被葬者応神天皇(宮内庁治定)
出土品埴輪
史跡指定宮内庁治定(恵我藻伏岡陵)
国史跡(外堀跡)
表・話・編・歴
拝所
誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん、誉田山古墳とも)は大阪府羽曳野市に所在する古市古墳群の中心となる古墳。420メートルの墳丘の長さは、百舌鳥古墳群の大仙陵古墳に次ぐ巨大前方後円墳である。
現在、宮内庁によって応神天皇の陵墓に指定されており、陵号は恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ)。一般的には応神天皇陵と呼ばれている。外濠(二重目)外堤跡は国指定の史跡となっている。
目次
1 古墳の概要
1.1 規模
1.2 周濠
1.3 副葬品
1.4 陪墳
1.5 拝所
2 付随の施設・神社・寺
3 関連項目
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5世紀初頭の築造と考えられている。立地条件は、必ずしもよいとは云えない。それは、土質の安定した段丘と不安定な氾濫源という異質の土地にまたがって墳丘を造営しているためという。 また、造営前から二ツ塚古墳が存在しており、それを避けるように造ったため、周濠と内堤が歪んでいる。なお、前方部の一部が崩れているのは1500年代後半にこの地で直下型の大地震があったためと考えられており、前方部の崩落部分のほぼ真下を活断層が走っている。(地質調査で付近での活断層の存在が判明し、誉田御廟山古墳の一部を通っていることが推定された。また、地質調査により活断層ができたと推定された年代と、大地震があったと記録された年が一致。)
宮内庁が管理しているため、立ち入って学術調査が出来ないため確かなことが分かっていない。
全長420メートルと墳丘長は大仙陵古墳に次ぐ大きさで、体積では143万3960立方メートルと日本一を誇る。後円部の直径267メートル高さ36メートル、前方部の端での幅330メートル高さ35メートルとそれぞれ大仙陵古墳を上回る。
周りには二重の堀をめぐらしており、広大な内濠の外には幅約48メートルの中提があり、その外に築造当時は幅約35メートルのもう一重の濠(外濠)のあった形跡があり、それを巡る外提は幅約15メートルあったと推定されている。濠の水深250?170センチと大山古墳よりもずっと深い。
埴輪の種類が多い。円筒、キヌガサ、家、盾(たて)、甲(よろい)、草摺(くさずり)、水鳥など。内濠から土師器と共に魚形土製品が10個出土している。鯨、烏賊(いか)、蛸、鮫、海豚など。これらの土製品の解釈にはいろいろな説が為されている。
円筒埴輪や円形埴輪、後円部側の外濠の外部で馬形埴輪なども出土している。木製の埴輪も副葬されていた形跡があるという。
指定を受けているものは五基ある。残りが民有地であるため古墳の破壊が続いた。
盾塚(たてづか)
盾が10枚も埋めてあったのでこの名が付いた。
帆立貝式古墳、誉田山古墳の北東の方角にあり、濠の外にある。
埋葬施設は長大な割竹型木棺(わりたけがたもっかん)で、銅鏡、玉類、短甲、衝角付冑(しょうかくつきかぶと)、鉄製の刀剣や鏃(やじり)、筒型銅器、碧玉製釧(へきぎょくせいくしろ)、竹櫛(たけくし)、盾が10枚などが出てきた。
前方部から、鉄製の刀、剣、矛(ほこ)が61本もまとまって出てきた。
築造年代は、誉田山古墳より先行する可能性もある。
珠金塚(しゅきんづか)
方墳で、盾塚の西側にある。
墳頂には、組合せ木棺を納めた二つの粘土槨があった。一方の棺には、銅鏡、玉類、短甲、衝角付冑、鉄製刀剣、竹櫛、盾などがあり、もう一方の棺にも銅鏡、玉類、短甲、鉄製刀剣などがあった。甲冑はいずれも鋲留式(びょうどめしき)。玉類の中に金製丸玉のものがあった。鋲留めという新しい技術、金製品もそれ以前には稀なものである。
古市丸山古墳(ふるいちまるやまこふん)
円墳で、その直径45メートルあり、円墳としては大規模。拝所の直ぐ近くにある。
金銅製の鞍金具の馬具出土。木製の鞍に金の金具が閉じ付けてある。古墳出土の鞍の中でも最優秀品。横に連なった竜文の透かし彫りがある。伽耶(かや)高霊の古墳出土の文様に酷似しており、乗馬の道具が朝鮮半島からの舶載品を含んでいる。
鞍塚(くらづか)
円墳で、盾塚の北にある。
箱形木棺から銅鏡、玉類、甲冑、武器、馬具など出土。
築造年代は、盾塚や珠金塚より新しい。
現在、前方部の正面にある。之は、文久(1861~1863)の修築以降。それ以前は、誉田八幡宮のある後円部の方から、つまり背面の方に参道があり、後円部の頂上にある六角形の宝殿まで石段が付いていた。一般の人たちも参拝していた。
付随の施設・神社・寺
古墳敷地内に、宮内庁書陵部の古市陵墓監区事務所がある。
古墳の南側に日本最古の八幡宮である誉田八幡宮、室町時代に描かれた「応神陵」造営から誉田八幡宮の建立や様々な功徳を述べた誉田宗廟縁起絵巻を所蔵している。天皇陵の存在を前提にして発生・発達した神社である。
関連項目
古市古墳群
百舌鳥古墳群
大仙陵古墳(大仙古墳、大山古墳)