評論家(ひょうろんか)とは評論を職業とする者である。
目次
1 歴史
2 対象、分野、手法
3 評論家の出自
4 評論家とメディア
5 評論家の種類
6 評論家の肩書き
7 文学評論家と作家
8 評論活動の問題点
9 比喩表現としての評論家
10 脚注
11 関連項目
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評論は欧米においては「(個人が)物事をどう捉えるか・把握するか・判定するかを表明するもの」であったのであり、 日本にも近代になり欧米の「評論」が流入した。やがて「技術的に有用な多くの知見を持つことになった者がそれを社会へ提供・還元するもの」という面が強くなり、評論家の存在が前面に出てくるようになった。
評論家が対象とする事物には特に制限があるわけではなく、文学、政治、経済などあらゆる事物が評論の対象になる。そのため、毎年のように新しい肩書きの評論家が登場してくる。
評論家は多くの場合ある特定の分野だけを評論活動の対象としている。が、思想家や哲学者が、対象を限定せず広く批評・評論活動をすることもしばしばある。
評論の手法は研究対象などによって異なる。「評論家」と「批評家」の区別について、議論がある(参照:加藤典洋 『僕が批評家になったわけ』 など)。
評論家はフリーランスジャーナリストなどのライターが自称する場合が多い。評論家の多くは、その分野の真の意味での専門家(実行者、プロ)ではない。本当のプロであれば相応の肩書きがあり、「評論家」と名乗る必要がない。以下のようなケースが多い。
ある分野での真の専門家となることを目指したが、なんらかの事情でなれず、転じてその分野の評論家となって、その分野との関係を保っている者。
ある分野の真の専門家であったが、現在はその世界の実活動から退いた者。
『評論家になろう』で紹介されている14人の評論家の出自は、出版編集関係6人、テレビ・ラジオ関係5人であり、元々なんらかの形でマスメディアに関わっていた・関わろうとした人間が多い。
評論家にとってマスメディアは必要不可欠の存在である。文字媒体(新聞、雑誌、書籍、インターネットなど)やラジオ、テレビなどのメディア抜きでは、業としての評論家は成り立たない。
またメディアの側も評論家を必要としている。メディアは放送番組や記事、広告としての形式や内容を成立させるために、評論家の知識や信頼感を利用する。生放送などで台本を用意できない場合、特定の分野について多くの知識を持ち、その知識・経験を踏まえて、解説・意見をアドリブで話す事が出来る評論家は重宝される。評論家の解説・意見の責任は基本的には評論家にある。台本を用意しないことで、メディアは責任を回避する事が出来る[1]。
特にテレビの場合、評論家は画面の中に居るだけで、一定の信頼感を醸成することが出来る。放送局、番組制作会社にとっては便利な存在である。そのため、昨今ではメディアによって、評論家が粗製濫造されている。「逆神」と揶揄される評論家も現れ[要出典]、マスコミ不信の一因になっている[要出典]。
株式評論家
美術評論家
文芸評論家
政治評論家
経済評論家
建築評論家
航空評論家
軍事評論家
野球評論家
競馬評論家
芸能評論家
風俗評論家
音楽評論家
映画評論家
自動車評論家
オーディオ評論家
写真評論家
など
評論家の人名に関しては、Category:評論家から各種評論家のサブカテゴリへ。あるいは、評論家一覧、映画評論家一覧、また教育関係人物一覧(教育評論家)の項目を参照。
評論家という肩書きは自称にすぎない。例えば政治評論家が、「政治アナリスト」と名乗っても問題はない。また特定の分野でのみ使われる別名もある。例えば経済評論家は、しばしば「エコノミスト」を自称する。
評論家は文化人と総称される場合がある。