西大寺
本堂(重要文化財)
所在地奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
位置 ⇒北緯34度41分36.99秒
東経135度46分46.19秒
山号勝宝山
宗派真言律宗
寺格総本山
本尊釈迦如来(重要文化財)
創建年天平神護元年(765年)
開基常騰、称徳天皇(勅願)
正式名勝宝山 四王院 西大寺
札所等真言宗十八本山15番
大和十三佛霊場2番
南都七大寺5番
西国愛染十七霊場13番
神仏霊場 巡拝の道 第23番
文化財絹本著色十二天像12幅、金銅宝塔及び納置品ほか(国宝)
本堂、絹本著色釈迦三尊像、木造釈迦如来立像ほか(重要文化財)
表・話・編・歴
四王堂東塔跡(左は愛染堂、右は本堂)
西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある、真言律宗総本山の寺院。奈良時代に称徳天皇の発願により、僧・常騰(じょうとう)を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)によって復興された。山号を勝宝山と称する(ただし、奈良時代の寺院には山号はなく、後になって付けられたものである)。現在の本尊は釈迦如来である。
目次
1 起源と歴史
2 伽藍と仏像
3 文化財
3.1 国宝
3.2 重要文化財
4 年中行事
5 アクセス
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
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西大寺は、天平神護元年(765年)に称徳天皇の勅願により創建された寺院である。恵美押勝の乱平定を祈願して孝謙上皇(称徳天皇)が造立した金銅四天王像を安置している。この四天王像は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の補作である。
「西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、創建時は薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。しかし、平安時代に入って衰退し、火災や台風で多くの堂塔が失われ、寺は興福寺の支配下に入っていた。
西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(興正菩薩、1201?1290)である。叡尊は建仁元年(1201年)、大和国添上郡(現・大和郡山市)に生まれた。11歳の時から醍醐寺、高野山などで修行し、文暦2年(1235年)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時海龍王寺(奈良市法華寺町)に住した後、嘉禎4年(1238年)西大寺に戻り、90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。叡尊は、当時の日本仏教の腐敗・堕落した状況を憂い、戒律の復興に努めた。また、貧者、病者などの救済に奔走し、今日で言う社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。その後も忍性などの高僧を輩出するとともに、荒廃した諸国の国分寺の再興に尽力し、南北朝時代の明徳2年(1391年)に出された「西大寺末寺帳」には8ヶ国、同時代のその他の史料から更に十数ヶ国の国分寺が西大寺の末寺であったと推定されている(なお、現存の国分寺のうち、西大寺と関係を持つのは旧伊予国分寺のみであるが、他にも複数の国分寺が真言宗各派に属している)。
西大寺は室町時代の文亀2年(1502年)の火災で大きな被害を受け、現在の伽藍はすべて江戸時代以降の再建である。なお、西大寺は1895年(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を名乗っている。真言律宗に属する寺院は、大本山宝山寺(奈良県生駒市)のほか、京都・浄瑠璃寺、奈良・海龍王寺、奈良・不退寺、鎌倉・極楽寺、横浜・称名寺などがある。
境内には本堂、愛染堂、四王堂、聚宝館(宝物館)などが建つ。本堂前には東塔跡の礎石が残る。
本堂(重文)?寄棟造、本瓦葺。室町時代の焼失後に再建された堂が傷んだため、修理ではなく新築することとし、寛政10年(1798年)頃造営に着手、文化5年(1808年)頃完成したものである。土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式になる。江戸時代後期の大規模仏堂建築の代表作として、1998年重要文化財に指定されている。この堂はかつては宝暦2年(1752年)の建築とされていたが、正しくは前述のように19世紀初頭の建築である。
釈迦如来立像(重文)?西大寺の本尊。建長元年(1249年)、仏師善慶の作。