袴田 英利
千葉ロッテマリーンズ No.85
基本情報
国籍 日本
出身地静岡県静岡市葵区
生年月日1955年8月13日(53歳)
身長
体重175cm
80kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置捕手
プロ入り1977年 ドラフト1位
初出場1978年5月28日
最終出場1990年10月13日
経歴
静岡県自動車工業高等学校
法政大学
ロッテオリオンズ(1978 - 1990)
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
袴田 英利(はかまだ ひでとし、1955年8月13日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は千葉ロッテマリーンズ一軍コーチ。
目次
1 来歴・人物
2 年度別打撃成績
3 タイトル・表彰
4 『ドカベン プロ野球編』での活躍
5 関連項目
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1973年ドラフト3位でロッテオリオンズに指名されるも入団せず。進学した法政大学では江川卓とバッテリーを組み、高代延博や金光興二、植松精一といった名選手達とともに法政黄金時代を築いた。
1978年、ドラフト1位でロッテオリオンズに入団。7年目の1984年に127試合に出場、レギュラーポジションを獲得。以後、派手さはないが、堅実なリードとファイト溢れるプレーで、チームの中心選手として活躍した。
1990年、村田兆治のラスト登板で久々の一軍先発捕手として出場、引退した。その村田の最終登板時は村田からの「俺のキャッチャーはお前以外にいないんだ。だから俺と共に去るんだ」というご指名を受けた。その試合後、自分の引退はあまり知られてなかった袴田は村田に報道陣が群がるのを尻目に1人泣きながらベンチに戻ろうとし、気付いた一人の記者から「やはり村田さんが引退となると寂しいですか?」と聞かれ「ていうか僕も今日で引退なんです」と答えている。
引退の原因の一つはブライアントの体当たりスライディングをまともに受けた事による打撲による負傷だが、その際川崎球場の当直医が老医で登場する際の仕草がおかしかったため珍プレー特集で放映されスタジオが大うけした。オールスター出場2回。
引退後はバッテリーコーチに就任した。なお、ロッテオリオンズで規定打席に到達した捕手は1985年の袴田で最後となる(千葉移転後は2006年に里崎智也が規定打席に初めて到達した)。
年度チーム背
番
号試合打数得点安打二塁
打三塁
打本塁
打塁打打点盗塁犠打犠飛四死
球三振打率(順位)
1978年ロッテ12916150018200015.313
1979年26404300161020318.075
1980年71000000000000.000
1981年1219350018201013.263
1982年962592054902691921111238.208
1983年89182124271566231301133.231
1984年127382409921351414911913448.259(23)
1985年129376479115081305013042639.242(35)
1986年119312277612391213803412343.244
1987年1172642356603711631422438.212
1988年1102802670543922302001434.250
1989年581075175002281901114.159
1990年129111002000011.111
通算成績911224720951981113873623191439161314.231
タイトル・表彰
オールスターゲーム出場:2回 (1982年、1985年)
水島新司の野球漫画『ドカベン プロ野球編』において袴田は2度大きく作品中のキャラクターにかかわっている。
1度目は明訓高校でエースであった里中智を二軍で指導し、プロで戦える体にし、新変化球スカイフォークを授けた。その後、怪我で2年目の前半戦を棒に振りつつも、オールスターで9者連続三振を達成した里中に感涙。ファームで、里中の怪我に親身になって付き合っていた事を匂わせる発言も残す。そして里中の入団3年目には、彼の先発投手への転向に助力し、同時に彼の恋女房役の瓢箪捕手の打撃力向上にも一役買っている。 その後数年は登場シーンが無かったが、『球道くん』の主人公・中西球道がロッテ入団の際に再びクローズアップされている。中西に「あの苦しみを乗り越えた」と思いをはせている姿から中西のリハビリを手伝っていたことも考えられる。
また、里中と山田の妹サチ子の結婚の仲人を務めることになった。