蜷川 新(にながわ あらた、1873年1月14日 - 1959年)は日本の法学者。専門は国際法[1]。
父は旗本で、母は建部藩藩主の娘。旗本小栗忠順の義理の甥に当る。無禄移住した静岡県袖師(現・静岡市清水区)で生まれる。その後すぐ父は死亡したため、母の縁を頼って東京に移り住む。
1889年第一高等学校に入学。学友に渡辺千冬や鈴木梅太郎がいた。卒業後東京帝国大学の法科大学校に進学し、有賀長雄のもとで国際法を専攻し外交官を志したが失敗し読売新聞の臨時記者となる。
日露戦争勃発にあたり、召集され第一軍の国際法顧問、名古屋俘虜収容所付、樺太軍顧問として従軍する。戦後は旅順外国人財産整理委員をへて、韓国の宮内府に6年間勤めた。1912年博士の学位を得て、フランスに留学し、このときに田中義一と親交を結んだ。帰国後同志社大学教授に就任し、国際法や外交史を教えたが、同大の内紛に巻き込まれ3年後に辞任する[2]。
その後日本赤十字社の慰問使などとしてしばしば渡欧し、ジュネーヴの国際赤十字赤新月社連盟の創設にも関わる[3][4]。田中の援助を受け陸軍顧問としてワシントン会議にも同行。国内では文部省の思想善導事業の一環として国民主義の重要性を説く講演、著作活動を続けた。一方で、小栗忠順の顕彰にも力を注ぎ、正続『維新前後の政争と小栗上野介の死』などを執筆している[5]。
戦後は超国家主義者として公職追放となったが、1952年に『天皇 - だれが日本民族の主人公であるか』を記し、論壇に返り咲く。この本には清水幾太郎が推薦の辞を寄せる一方で、戦前に蜷川から不忠であると論難された里見岸雄は激怒している[6]。
脚注^ 格闘家の武蔵は蜷川新の曾孫に当たる。蜷川新の祖先は室町幕府の政所代を世襲した蜷川氏であり、アニメ『一休さん』の登場人物「蜷川新右ヱ門」のモデルでもある「蜷川新右衛門」は智蘊(俗名は蜷川親当(にながわちかまさ))である。
^ 後に駒沢大学教授を勤めた。
^ 蜷川新『人道の世界と日本』
^ 日本赤十字社顧問、国際赤十字赤新月社連盟理事を勤めた。
^ 群馬県高崎市倉渕町の「小栗上野介慰霊顕彰碑(偉人小栗上野介 罪なく此所に斬らる)」は蜷川新の書である。
^ 当時の著作として蜷川新『憲法読本 主権者たる国民が正義を貫くために』 1953年などがある。
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更新日時:2008年9月9日(火)12:11
取得日時:2008/10/13 17:42