蛋民(蜑民、?民。たんみん)とは華南の広東省、福建省、広西チワン族自治区、海南省、香港、澳門の沿岸地域や河川で生活する水上生活者である。中国では「?家(蜑家、蛋家。たんか)」と称されることが多いが、いずれも蔑称と捉えられる場合があるので、政府機関からは「水上居民」もしくは「水上人」と呼ばれる。
目次
1 概要
2 歴史
3 香港の蛋民
4 マカオの蛋民
5 広東省の蛋民
6 広西チワン族自治区の蛋民
7 海南省の蛋民
8 福建省の蛋民
9 日本における「蜑家」
10 関連項目
11 脚注
12 参考文献
//
陸に土地をもたず、主に船を家とし、水上で漁業、水運、商業などの生業を営む。このため船上人とも呼ばれる。岸辺に「棚屋」や「茅寮」と呼ばれる、簡単な水上家屋を築いて住む場合もある。伝統的な材料としては、木材に加えて、サトウキビの茎や皮などが使われた。
漢民族であり、少数民族には分類されないが、生活様式の違いや教育程度の差などによる被差別民であった。1970年代までは、非蛋民との通婚も限られていた。
ジャッキー・チェン、ブルース・リーなどが主演する香港映画などにも密集する船の姿が映されていたことから、香港・アバディーン(香港仔)の水上居民が有名であるが、その数はすでに激減している。現代では中国全体で見てもその数は減少し、広東省の地方の沿岸と海南省周辺を中心に8万人程度とされる。2006年現在、都会周辺で実際に船で生活している住民は、広州市では黄埔涌に、香港では、ほかに西貢などにごく少数残るだけといわれる。
水産物の販売や、輸送の交渉などで、陸上の人たちとの会話が欠かせないことから、在留地域の方言に近い言葉を話すが、発音や語彙など、一定の差異があるのが普通。主に広東語系の言葉を話す人たちと、福建語系の言葉を話す人たちがいる。
水上生活でもっとも困るのは飲み水の確保で、陸上から購入する場合がある。洗い物などの生活には雨水なども利用する。
海の守り神とされる媽祖(天后)信仰をもつ点は、陸上生活する漁民や海運従事者と変わりないが、「鹹水蛋民」と呼ばれる、広東省東莞市を中心に分布する人たちは、洪聖(南海洪聖大王)を信奉し、広州市から新会市を中心に分布する「淡水蛋民」と呼ばれる人たちは龍王を信奉している。
伝承によれば、東晋の末ごろ(5世紀)、農民一揆を首謀した盧循が海沿いに南下したが、一揆に失敗し、水上生活を送るようになった。統治者は「上陸して居住しない」「勉強して字を覚えない」「陸上の人と通婚しない」という3つの禁を出し、これが千年あまり続いた結果、特殊な生活をする人たちが生まれたとされる。
しかし、広東省高要市金利鎮からは秦代以前の大規模な水上建築の遺構が見つかっており、実際には南越族が住む時代からすでに水上生活を送る人たちが多数いたことが伺える。
宋代の書『嶺外代答』にも記述があり、漁労に長けた「魚蜑」、水に潜ってカキを採る「?蜑」の他、山から木を取る「木蜑」の3種があるとしている。
正字は「蜑」とされるが、その起源ははっきりしない。部首が「虫」となっているのは、人と認めないという漢字を使った差別用語のひとつと考えられる。同音の「蛋」の字は宋代以降に現れ、「疋」の下を「虫」の代わりに音を示す「旦」に作る場合もある。
農業を権力基盤とする歴代中国王朝から差別され、科挙の受験資格も与えられなかった。他の漢民族などが、彼らを海上(船上)から陸に上がらせないこともあった。また、教育を受ける機会も、水上では限られ、文盲も多かった。陸上生活者と同等の人権が認められたのは、中華人民共和国成立後で、20世紀後半の社会基盤の整備とともに、多くの水上生活者が陸上生活に移行した。
「鹹水蛋民」と呼ばれる、東莞周辺から移動して来た人たちが多数派を占める。広東語の下位方言のひとつである「蛋家話」を話す。広州や香港の広東語との発音の差異は小さく、会話に大きな支障はない。「香港」という語は、広州の広東語ではヒョンコン(Heunggong)のように発音するが、英語で「Hong Kong」と綴るのは、香港の蛋民の広東語の発音に基づくためといわれる。実際に香港で「eu」の綴りで表されている円唇前舌半広母音の一部は、蛋家では「o」で表される円唇後舌半狭母音に交替している場合がある。(例:「脚」 香港・広州 geuk3:蛋家 gok3)しかし、地区によっては交替していなかったり、逆に「o」から「eu」に交替している例もあり、法則性は見出せない。
香港には台風が多いため、毎年多くの船が港に避難していても台風によって転覆し、死亡する例が続出した。特に1906年の被害は甚大で、政府は1910年代に油麻地と銅鑼湾に「避風塘」という、防波堤に囲まれた避難地域を設けた。この避風塘には水上生活をする人たちの船が密集し、「水上浮城」という形容もなされた。日用品や食料などの販売をする船も多数現れた。
1940年代初頭には人口164万人の香港で15万人を超える蛋民がいたと推定されている。第二次世界大戦後の1945年から中華人民共和国が誕生した1949年の混乱期には、中国沿岸部から香港に集まる船が増え、総数はさらに膨らんだといわれるが、この時期の具体統計は残されていない。1950年代、戦後の混乱が落ち着くと、料理船や芸能を見せる船も営業を始めるようになり、一般市民も夜に舟遊びに出かけるようになった。