蘇我安麻呂(そがのやすまろ、生没年未詳)は7世紀末頃、飛鳥時代後期の日本の貴族。古代の名族・蘇我氏の出身で、父は蘇我連子、姉妹に藤原不比等正室となった蘇我娼子、子に石川石足がいる。名前は「安麻侶」「安摩侶」(『日本書紀』「天武天皇紀」上)「石川安麻呂」(『尊卑分脈』)とも書かれる。
彼は、天智天皇四年(671年)、天智天皇が重体となり大海人皇子(後の天武天皇)が病床に呼ばれたときに使わされた使者であった。しかし安麻呂は以前より大海人皇子と親しくしており、「有意ひて言へ(こころえてお話なさいませ)」と大海人皇子に忠告した。この安麻呂の一言により、大海人皇子は天智天皇の譲位を断り、吉野に脱出することが出来たという。他の蘇我氏一族である蘇我赤兄、蘇我果安らが大友皇子側に付いたのとは対照的な行動であり、天武天皇の「命の恩人」とも言える。ここから、天武天皇の元で重用されてもおかしくはないと思われたが、その後全く史料に見えず、没年も未詳である。ただ『続日本紀』「天平元年8月条」には官位役職は「少納言小花下」と見え、天智3年(670年)以前の官位制に基づいた名称となっており、ここから考察するに壬申の乱後幾ばくも経たない頃に早世したと考えられる。 カテゴリ: 蘇我氏 | 飛鳥時代の人物
更新日時:2008年6月18日(水)03:10
取得日時:2008/09/16 05:28