藤永田造船所
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藤永田造船所(ふじながたぞうせんじょ)は、かつて大阪府大阪市にあった民間造船所。日本最古の造船所と言われ、帝国海軍艦艇鉄道車両を製造していた。
目次

1 沿革

1.1 社名

1.2 年譜


2 製品

2.1 艦船

2.1.1 艦艇

2.1.2 民間船等


2.2 鉄道車両


3 参考文献

4 関連項目

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沿革

元禄2年3月、大坂堂島船大工町に船小屋「兵庫屋」として創業。開国以後、西洋式船舶である君沢型スクーナー船、木造外輪汽船の建造に取り組み、近代的造船所に脱皮した。設備の近代化を進め、造船業の他、鉄道車両製造、鋳鉄管製造、化学工業機器製造など多角化を進めた。戦前においては、日本海軍との関係が強く、そのことで昭和金融恐慌などの経営危機を乗り越えた。

戦後、漁船建造から再出発し、明治海運を中心とした同型貨物船建造、LPG船建造などを行った。また、製油精製装置、産業機械などの製造部門にも力を注いだ。1967年10月、企業競争力の強化のため三井造船に吸収合併され、兵庫屋時代を含む278年の歴史に幕を閉じた。


社名

「兵庫屋」から「藤永田造船所」に社名を変更した理由として、以下の二つの説がある。
帆船「十八丸」の試運転披露に出席した渡邊昇大阪府知事が、帆装の形状が「藤の花」に似ていることから、兵庫屋の本姓「永田」の上に「藤」を付け「藤永田造船所」と称するよう勧めた。

兵庫屋の親戚筋に姓が「藤」という船大工がおり、兵庫屋の初の鉄船の建造を藤家にまかせ、その試運転の際に故障した機械の修理をしていた親戚が小爆発で殉職したため、その死を悼み「藤」を「永田」の上につけ社名を「藤永田造船所」とした。


年譜

1689年 大坂、堂島船大工町に船大屋「兵庫屋」創業。

1854年 紀州藩「御座船」建造

幕末 江ノ子島敷屋町へ移転

1869年 ドイツ人技師から西洋型船舶建造の技術指導を受ける

1870年 民間造船所初の洋式木造外輪汽船建造

1874年 工場を岩崎新田(西区岩崎町)に移転

社名変更「藤永田造船所」


1884年 本社工場を大正区新炭屋町に移転

1900年 造船所初の鋼製貨物船「第二永田丸」進水

1917年 敷津工場(後の本社工場)を住吉区柴谷町に開設

1919年 海軍の指定工場となる。

1920年 鉄道車両、鋳鉄管製造を開始

1921年5月31日 藤永田初の駆逐艦「藤」竣工。(海軍艦艇建造総数、56隻)

5月 労働争議発生


1923年4月10日 株式会社藤永田造船所設立。

1926年 本社を敷津工場に移転、同工場を本社工場とし、今までの本社工場を新炭屋町工場とする。

大正区船町の船町造船所を継承し船町工場とする。


1928年12月 金融難により軍艦製造部門のみ海軍艦政本部臨時艦船建造部の管理下に入る。

1929年4月 創業家の10代当主・永田三十郎、社長辞任。

11月 池田岩三郎海軍中将、社長就任。


1931年 化学工業機器製造を開始。

1932年11月 岸本信太海軍中将、社長就任。

1933年 累積赤字のため車両工場を廃止し兵器工場とする。(受注車両総数、967両)

1937年12月 製缶工場新設

1940年3月 海軍管理工場指定

1944年1月 軍需会社指定

1945年6月 空襲により本社工場被災

1962年 LPG船建造開始

1967年10月 三井造船株式会社に吸収合併。


製品

艦船艦艇・民間船)

鉄道車両

鋳鉄管

化学工業機器


艦船

浦賀船渠とともに駆逐艦建造で有名で「西の藤永田、東の浦賀」と呼ばれていた。


艦艇

二等駆逐艦

樅型:藤 - 蕨 - 蓼

若竹型:芙蓉 - 刈萱


一等駆逐艦

睦月型皐月 - 文月 [II] - 夕月

吹雪型:白雲 [II] - 叢雲 [II] - 綾波 [II] - 曙 [II]- [II]

白露型村雨 [II] - 江風 [III]

朝潮型:満潮 - 山雲 - 峯雲

陽炎型:黒潮 - 夏潮 - 浦風 [II] - 谷風 [II] - 舞風

夕雲型:巻雲 [II] - 長波 - 大波 - 玉波 - 藤波 - 朝霜 - 秋霜


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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