藤原 宣孝(ふじわら の のぶたか、天暦4年(950年)頃? - 長保3年4月25日(1001年5月20日))は、平安時代中期の官人。藤原北家高藤流(勧修寺流)。父は権中納言藤原為輔。母は参議藤原守義女。兄弟姉妹に駿河守藤原惟孝・左大弁藤原説孝・藤原佐理室らがいる。室に下総守藤原顕猷女・藤原為時女(紫式部)らがおり、子に左京大夫藤原隆光・大蔵卿藤原隆佐・陸奥守藤原頼宣・明懐(興福寺別当・権少僧都)・藤原賢子(大弐三位)らがいた。
円融天皇・花山天皇の治世下で左衛門尉や六位蔵人などを務め、その後、円融院判官代・筑前守などを歴任した。長保元年(999年)頃、又従姉妹にあたる紫式部(藤原為時女)を娶り、娘の賢子を儲けた。同年末に宇佐使に任ぜられて下向し、翌年(1000年)2月帰京する。長保3年(1001年)4月、疫病に罹って卒去。最終官位は正五位下山城守だった。
日記『藤原宣孝記』(散逸)があり、『西宮記』にその逸文が残っている。また宣孝は豪気な気性の持ち主だったらしく、『枕草子』(115段)に、息子隆光とともに派手な衣装を着て金峯山参詣を行って顰蹙を買った逸話が記載されている。
関連項目
紫式部
勧修寺流
カテゴリ: 平安時代の人物 | 勧修寺流 | 1001年没
更新日時:2008年8月7日(木)14:17
取得日時:2008/10/03 14:56