蕭 萬長(2007年)
出生1939年1月3日
大日本帝国台湾台南州嘉義市
職業政治家
各種表記
簡体字? 万?
繁体字蕭 萬長
ピン音Xi?o W?nch?ng
和名表記しょう ばんちょう
発音転記シャオ・ワン・チャン
ラテン字Hsiao Wan-chang
英語名Vincent Siew
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蕭 萬長(しょう ばんちょう、1939年1月3日 - )は、台湾の官僚、政治家。中華民国副総統。元行政院長、元国民党副主席。
目次
1 プロフィール
1.1 官僚時代
1.2 政界進出後
2 エピソード
3 外部リンク
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官僚時代
1966-1969年 駐クアラルンプール総領事館副領事
1969-1972年 駐クアラルンプール総領事館領事
1982-1988年 経済部国際貿易局局長
1990-1993年 経済部長
1993-1994年 経済建設委員会主任委員
1994-1995年 大陸委員会主任委員
蕭萬長は1939年に嘉義市に生まれた。国立政治大学大学院を卒業後、外交官として1966年から1972年までクアラルンプールの領事館に勤務した。その後外交部から経済部に転じ、経済部国際貿易局長、行政院経済建設委員会副主任委員などを務めた。1990年には台湾出身者として初めて経済部長となった。1993年、第1回APEC首脳会議が開催された際には、李登輝総統の参加が許されなかったため、行政院経済建設委員会の主任委員であった蕭萬長が代理で出席し、翌年も同様に代理で出席した。
1994年、民選となった台北市長選挙の候補者に取りざたされたが、世論調査での人気も決して高くなく、本人も立候補を拒んだため立ち消えとなってしまった。その後、立法委員選挙に国民党から出馬、民進党の蔡同栄を破り当選を果たした。
政界進出後
1996-1997年 立法委員
1997-2000年 行政院長
2000-2005年 国民党副主席
2008年- 中華民国副総統
行政院長在任時には、アジア通貨危機や台湾大地震などの対応に追われた。
2000年の総統選挙では、国民党の候補者となった連戦と伴にともに副総統候補として立候補した。しかし、総統選挙では、民進党の陳水扁、呂秀蓮ペアが39.3%の得票率で当選し、連戦、蕭萬長ペアは23.1%と、宋楚瑜、張昭雄ペアの36.8%にも及ばす第三位に甘んじる結果となった。 2007年6月23日、金融背景の強さが目立ち、国民党の次期統領候補人馬英九の要請により国民党の次期副統領候補人になる。 2008年に副総統就任が確定するものの、ボアオ・アジア・フォーラム出席のために訪中し、中華人民共和国の胡錦濤国家主席と会談したことを批判され、弁明に追われている。
2006年、日本の衆議院議員愛知和男らと秋保温泉を訪れたところ、旅館関係者に李登輝と間違われてしまい、台湾の一部メディアによって「李登輝が極秘に日本を訪問していた」と報じられることとなった。
外部リンク
⇒公式ブログ(中国語)
先代:
連戦行政院長
1997年 - 2000年次代:
唐飛
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カテゴリ: 台湾の政治家 | 政治家関連のスタブ項目
更新日時:2008年6月18日(水)16:35
取得日時:2008/07/05 11:55