蔡秉徳
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蔡秉徳(チェ・ピョントク、???、1917年 - 1950年)は、大日本帝国及び大韓民国陸軍軍人


経歴

当時日本の植民地だった朝鮮半島平壌に生まれた。日本名は大島秉徳。平壌中学校から現役で日本の陸軍士官学校49期に入学し、要塞重砲兵科卒業。朝鮮人ではただ一人の日本陸軍士官学校現役合格者として知られる。日本陸軍に勤務し、終戦時、富平陸軍造兵廠第一工場長、階級は陸軍少佐。なお、日本陸軍時代には一度も戦場経験をしていない。

第二次世界大戦終結後は、新たに発足した南朝鮮警備隊に入隊し、大韓民国の成立に伴い、大韓民国陸軍に勤務した。1949年5月9日から1949年9月30日の間、陸軍参謀総長として韓国陸軍の制服組トップとなるが、10月、38度線での南北交易の不正をめぐる問題で強硬な対応を主張する金錫源・第一師団長と衝突し、李承晩は金錫源を解任し、蔡秉徳も予備役編入となる。1950年4月、再び陸軍参謀総長となり、朝鮮戦争開戦時には進入する北朝鮮軍迎撃の指揮を執ったが、兵力の逐次投入を余儀なくされる。後に解任、左遷され、北朝鮮軍と戦って戦死した。

白洪錫の娘婿である。体重100キロ以上の肥満体でも知られる。

2005年8月29日、民族問題研究所と親日人名辞典編纂委員会が発表した親日人名辞典名簿3090人の中に親日派としてリストアップされた。


参考文献

児島襄、朝鮮戦争、vol.1-vol.3、文藝春秋。

佐々木春隆、朝鮮戦争韓国編、上中下、原書房。

陸戦史研究普及会、朝鮮戦争、全10巻、原書房。

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カテゴリ: 日本の陸軍軍人 | 朝鮮人の日本陸軍軍人 | 韓国の軍人 | 1916年生 | 1950年没 | 人物関連のサブスタブ項目

更新日時:2008年10月2日(木)10:44
取得日時:2008/10/20 06:43



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担当:Mamenoki