蓮ダム
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蓮ダム

所在地
左岸:三重県松阪市飯高町森
右岸:三重県松阪市飯高町森
位置 ⇒北緯34度22分37秒
東経136度12分32秒

河川櫛田川水系蓮川
ダム湖奥香肌湖
形式重力式コンクリートダム
ダム諸元
堤高78.0 m
堤頂長280.0 m
堤体積484,000 m3
総貯水容量32,600,000 m3
有効貯水容量29,400,000 m3
流域面積80.9 km2
湛水面積120.0 ha
利用目的洪水調節不特定利水
上水道発電
事業主体国土交通省中部地方整備局
電気事業者三重県企業庁
発電所名
(認可出力)蓮発電所
(4,800kW)
施工業者飛島建設大日本土木
着工年/竣工年1971年/1991年
備考

Template (ノート 解説) ダムpj

蓮ダム(はちすダム)は三重県松阪市飯高町森地先、一級水系櫛田川水系蓮川(はちすがわ)に建設されたダムである。

国土交通省中部地方整備局によって建設された特定多目的ダム法に基づく特定多目的ダムで、櫛田川水系に建設された唯一の多目的ダムである。また、三重県内では唯一となる国土交通省直轄ダムでもある。櫛田川および蓮川の治水と、松阪市を始めとした南勢地域および志摩半島とその周辺島嶼部への利水を目的としている。ダム湖の名称は奥香肌湖(おくかはだこ)。
目次

1 沿革

2 目的

3 奥香肌湖

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

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沿革

三重県南勢地域を流れる櫛田川は、宮川等と同じく日本有数の多雨地帯である台高山脈を水源とする。この為梅雨末期や台風襲来時には度々集中豪雨が流域を襲い、そのたびに甚大な被害を蒙った。特に1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では宮川流域は昭和32年に完成していた宮川ダム洪水調節により大きな被害が出なかったが、櫛田川は過去最悪の洪水被害を出し、死者16人・重軽傷者248人、浸水家屋3,814戸という莫大な被害であった。この為建設省(現・国土交通省)は櫛田川の緊急的な治水対策に乗り出し堤防補強・延伸の他、河水流下阻害の要因となっていた固定堰・櫛田川頭首工可動堰化を1964年(昭和39年)より行い、1969年(昭和44年)に櫛田可動堰として改築された。

その後櫛田川水系は1967年(昭和42年)5月に一級水系に指定され、翌1968年(昭和43年)2月8日には河川整備の基準計画である『櫛田川水系工事実施基本計画』がまとめられた。この中で総合的な治水対策として櫛田川上流にダムを建設する計画が持ち上がった。一方志摩半島鳥羽市志摩市南伊勢町の地域は交通網の発達により観光客と水需要が増加し、これに伴う上水道整備が課題となった。特に大河川の無い志摩半島や離島においては、渇水時には深刻な水不足を招いていた為、新規の水資源開発が叫ばれるようになった。志摩半島北部を流れる宮川の水は豊富であるが、水力発電に用いた後で大部分が熊野灘に流され、流域以外へ給水する余力が不足していたことから櫛田川が注目された。

こうして治水・利水の必要性が櫛田川水系で求められ、多目的ダムの建設が要望された。だが櫛田川本川はダムを建設する適地が無かった為、支流の蓮川に特定多目的ダムを建設する事で治水・利水に供する事となった。そして1971年(昭和46年)、建設省中部地方建設局(現・国土交通省中部地方整備局)は『櫛田川総合開発事業』の一環として蓮ダムを建設する計画を発表した。


目的

ダムの建設により65戸の住居が水没する事から住民の反発が激しく、補償交渉には時間が掛かった。建設省はこれを打開する為に1978年(昭和53年)3月28日水源地域対策特別措置法の対象ダムとして指定し、水没地域の活性化策や観光振興策、水没住民に対する補償額引き上げや移転時住宅利子補給等の補償策を住民に提示した。これにより1981年(昭和56年)には補償交渉も妥結し、同年より建設工事を開始。更に10年後の1991年(平成3年)に完成した。計画発表より20年が経過していた。

目的は櫛田川流域の洪水調節、櫛田川流域の正常な流水量維持を図る不特定利水、南勢地域への上水道供給(後述)、及び三重県企業庁による認可出力4,800kW水力発電である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki