蒙古聯合自治政府(もうこれんごうじちせいふ)は、1939年に内蒙古に樹立された政府。首府は張家口。中国などの文献等では、1937年に設立された蒙疆聯合委員会との混同により「蒙疆聯合自治政府」と誤記されることが多く、注意を要する。
目次
1 概要
2 軍事
2.1 駐蒙軍
3 関連項目
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概要デムチュクドンロブ(左)、李守信(中)と日本軍人
蒙疆地区には1937年、蒙古聯盟・察南・晋北の3自治政府が設立されたが、利害関係を調整して活動の円滑化を図るため、1937年11月22日、3自治政府によって蒙疆聯合委員会が設立された。
しかし、この委員会が十分に機能しなかったため、政府そのものを統合、一体化しようという機運が高まり、1939年9月1日、3自治政府が統合して蒙古聯合自治政府が樹立され、初代の主席にはデムチュクドンロブ(徳穆楚克棟魯普、徳王)が就任した。
内蒙軍は、1929年に組織された900人の徳王のボディーガードを発端とする。しかし、これらの武装は貧弱で、張学良から与えられた銃や山砲しか装備していなかった。その後日本軍の支援を受けて軍事組織としての体裁を整えていく。
綏遠事件の際には内蒙軍は10000人が9個師団(うち8個が騎兵師団)として拡充編制されており、李守信( ⇒en)に指揮された満州国興安軍が熱河省から越境すると察哈爾省や綏遠省の匪賊や脱走兵が参加した。これらは ⇒王英の指揮の下4個旅団に編制され、 ⇒大漢義勇軍と称した。
綏遠事件の敗北の後、内蒙軍は総兵力が20000人ほどの8個の小規模な師団に再編制され、日中戦争の開戦初頭には、綏遠省の攻撃(チャハル作戦)に参加した。その後これらの兵力は太原作戦( ⇒Battle of Taiyuan)にも参加した。
1939年には軍内部の中国人をまとめた3個旅団からなる「蒙古鎮圧部隊」が作られ、匪賊掃討などの後方任務に当てられた。1943年、旧第4・第5蒙古師団が新第8蒙古師団に、旧第7・第8蒙古師団が新第9蒙古師団に再編制された。軍の総兵力は4000から10000人程度であり、全て騎兵であった。これを支援する小規模の重装備部隊が日本人によって運用されていた。つまり、この頃の内蒙古政府は合計5個師団を保有していたが、ほぼ民兵や治安維持部隊であり、3個連隊編制は名目上のものであった。各師団の1個連隊のみが任務に従事できる状態であったと考えられている。
1944年には日本軍はこれを察哈爾守備隊として4個師団8000人体制に再編制した。終戦時には、内蒙古政府は2個歩兵師団と4個騎兵師団、3個中国人独立旅団と1個警備連隊を保有していた。
駐蒙軍
第26師団
独立混成第2旅団
第4独立警備隊
関連項目
駐蒙軍
綏遠事件
ソ連対日参戦
ガンデンポタン
東トルキスタン共和国
満州国
内モンゴル人民党
チベット・モンゴル相互承認条約
などして下さる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。
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更新日時:2008年8月15日(金)15:01
取得日時:2008/08/20 00:52