荻窪ラーメン(おぎくぼラーメン)とは東京ラーメンの一種で、JR中央線の荻窪駅周辺のラーメン専門店で出している醤油ラーメンのことを指す。
目次
1 特徴
2 歴史
3 代表的な店(五十音順)
4 荻窪ラーメンの派生系
5 外部リンク
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そば屋からの転業が多かったため、スープは、鰹節や煮干しといった魚介系スープが基本の和風で、色が黒めなのが特徴。鶏ガラや豚骨といった動物系スープを合わせる店もある。麺は、中細麺を使う店が多い。 なお、「信」や「長」がつく屋号が多いのは、経営者に長野県(信濃国)出身者が多いからである。
戦後、荻窪駅北口には闇市ができ、駅近くに数軒のラーメン屋が並んだ。後にこれらの店は青梅街道沿いに店舗を出すようになっていく。
荻窪を中心とする中央線沿線には、昭和初期から作家文人が多く住み、たびたび彼らのいきつけの店などが随筆に書かれて知られていた。これらのラーメン店にも文化人のファンが多く、すでに1960-70年代には「春木屋」が映画監督の山本嘉次郎のグルメ本で紹介される等、荻窪ラーメンは比較的早くから一部では有名な存在であった。
荻窪ラーメンが全国的に知られるようになったのは、バブル期のグルメブームの裾野に巻き起こった全国的なラーメンブームで、テレビや雑誌等のメディアを通じてたびたび紹介されたことが大きい。
1984年の「愛川欽也の探検レストラン」(テレビ朝日)は、単なる店の紹介にとどまらず、青梅街道沿いにある有名店「春木屋」と「丸福」とに挟まれ閑古鳥が鳴いていた「佐久信」というラーメン屋をどうかにかして繁盛店にしようというプロジェクトを放送した。メニューの改善、店舗改装、糸井重里によるキャッチコピー「突然、バカうま」の作成等のいろいろな企画を立てるというもので、大きな注目を集めた。なお、「佐久信」はすでに閉店し、「丸福」も「白看板」と呼ばれる元祖とも言うべき店が2005年に閉店した、同系列の「丸福本店」が付近のアーケードにある。
1985年に伊丹十三が監督した映画「タンポポ」は、この「佐久信」のエピソードをヒントにしたといわれる。なお、撮影に際しては「春木屋」を参考にしたという。
1987年に、東洋水産(マルちゃん)が吉幾三をCMに起用して「荻窪ラーメン」という商品を発売したことも、荻窪ラーメンの全国的な知名度向上につながった。また、カネボウフーズも、ラーメン食べある記「荻窪ラーメン」を発売していた。
1990年代後半以降、他の地域でもご当地ラーメンが流行したこと、都内でも特徴のあるラーメン屋の出店が盛んになりオーソドックスな醤油ラーメンへの注目度が低下したこと、荻窪周辺はもともと住宅地であり地域外からの集客力が低いこと等から、荻窪ラーメンがメディアで取り上げられることは少なくなった。
代表的な店(五十音順)
漢珍亭(かんちんてい)
煌や(こうや) 2004年に開店した新しい店。
佐久信(さくしん) 閉店。
三ちゃん(さんちゃん)
中華徳大(ちゅうかとくだい)
手もみラーメン十八番(てもみらーめんじゅうはちばん)
春木屋(はるきや) 荻窪ラーメンの代名詞的に有名。
二葉(ふたば)
マツマル(まつまる)
丸信(まるしん)
丸長(まるちょう) つけ麺が有名。
丸福(まるふく) 春木屋と並ぶ荻窪ラーメンの一方の雄。経営者の違う2軒のうち、青梅街道沿いの店は2005年に閉店(2006年3月から武蔵野市に移転して営業再開するが2008年に入り閉店。)
めん家(めんや) 2004年6月閉店。
最近東京のラーメン屋ではつけ麺を出す店や、つけ麺専門店までできているが、中太麺をドンブリに盛るというつけ麺のスタイルを確立したのは「東池袋大勝軒」の主人山岸一雄である。(同店では「もりそば」という)
この店のルーツを辿っていくと、荻窪駅南口にある1948年に創業した「丸長」というラーメン屋になる。この「丸長」から「丸信」、「栄龍軒」、「大勝軒」(大勝軒といっても、中野や永福町、代々木上原などからまた派生)などがのれん分けしていく。そういった店が「丸長」をトップに「丸長のれん会」を結成する。
外部リンク
⇒荻窪ラーメンINDEX
⇒荻窪・阿佐ヶ谷・高円寺ネット ラーメン情報
カテゴリ: ご当地ラーメン | 東京都の食文化 | 杉並区
更新日時:2008年5月30日(金)02:24
取得日時:2008/08/26 06:12