荒木経惟
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荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年(昭和15年)5月25日 - )は、日本写真家東京都生まれ。通称「アラーキー」の名で呼ばれ丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。
目次

1 経歴

2 作風

3 使用カメラ

4 参考情報

5 荒木語

6 主な写真展

7 受賞歴

8 作品リスト

9 関連項目

10 外部リンク

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経歴

1940年(昭和15年) - 東京都台東区三ノ輪生まれ。

1959年(昭和34年) - 東京都立上野高等学校卒業。

1963年(昭和38年) - 千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、大手広告代理店の電通に宣伝用カメラマンとして就職。

1971年(昭和46年) - 同じく電通に勤務していた青木陽子と結婚。

1972年(昭和47年) - 電通を退社、フリーに。

1974年(昭和49年) - 東松照明細江英公森山大道横須賀功光深瀬昌久らと「WORKSHOP写真学校」の設立に参加。

1988年(昭和63年) - 安斎信彦、田宮史郎と事務所「AaT ROOM」設立(三人の頭文字から命名)

1999年(平成11年) - 織部賞を受賞。

2008年(平成20年) - 科学・芸術勲章受章(オーストリア政府より)。


作風

とにかく写真集の発行点数が多い。私家版を含め、400近くの写真集を世に出している。

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独特のエロス観と情愛で、ごく日常の中にある裸体・猫・花・風景などの撮影を得意とする。その作品はひらめき・感覚によるものが多く、ときには、下品さもいとわない。かつては、「いろもの」的な写真家ととらえられることも多かったが、日本においては遅くとも1990年代には、その高い評価は固まったといえる。ただし海外では荒木の一部作品において、女性をモノのように扱っているのではないかと議論を呼ぶことがある。

1990年に亡くなった妻の姿を撮影したことで世間に衝撃を与えた。この写真を発表した写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」をめぐって、意見が対立した篠山紀信としばらくのあいだ絶縁状態が続いた(→「センチメンタルな旅・冬の旅」論争)。

コンセプトも含めて、冷徹な計算に基づく、華麗で上品な作風である、篠山紀信の作品とはきわめて対照的であり、一部では、この2人の対照性を強調して、それぞれのファンを「荒木派」「篠山派」と、呼ぶこともある(使い方の例。ギャラリーにて。「ツァイトフォトのホームページを見ると、そのコレクションに、荒木は含まれていますが、篠山は含まれていません。それから考えると、ツァイトさんは、やはり『荒木派』ですか?」「いやー、そういうわけでもありません」)。

マスメディアへの露出から、上記のように篠山紀信と比較されることが多いが、

私生活を撮ったという点では島尾伸三など

性的な私生活という点でナン・ゴールディンなど

離別した妻を撮ったということでは古屋誠一、深瀬昌久など

日本を代表するスナップ写真家としては木村伊兵衛須田一政鈴木清森山大道など

と比較されることもある。

また、その私生活へ向けられた視点は、いわゆるガーリーフォトと呼ばれるジャンルのきっかけとなり、HIROMIX蜷川実花長島有里枝などに大きな影響を与えた。

ヌード写真や近年では少女をも含めた人物写真を得意とするが(ロリータ・アートも参照)、花などの静物写真、東京を対象とした都市写真にも傑作が多い。

台東区三ノ輪、いわゆる東京の下町出身ということで、人情味溢れるスナップ写真を撮ることでも有名である。また近所には「投げ込み寺」として有名な浄閑寺吉原 (東京都)参照)があり、その存在が彼の死生観を決定付けたと語っている。

父・長太郎は下駄職人だったが近所でも有名なアマチュアカメラマンとして活躍し、荒木がカメラマンになるきっかけを与えた。

尊敬する人物は岡本太郎


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki