荀林父(じゅんりんぽ、生没年不詳)中国春秋時代の晋の政治家。中行の将に指名されたことから中行氏とも称した。謚は桓。荀桓子、中行桓子とも呼ばれる。
元は文公の御者を務めた勇士であった。文公が晋軍を六軍として編成したときは中行の将に任じられ、荀林父はこれに感激して中行を氏とした。
景公の代には正卿となり、?の戦いの時には中軍の将として荘王と戦ったが大敗した。帰国した荀林父は景公に死を乞うたが、景公は士会(一説には士握濁とも)の助言を聴き入れてこれを許さなかった。敗戦後に晋から背いた鄭を討伐する際は、鄭国内に侵入して閲兵のみをおこなって引き上げた。鄭は晋軍の厳粛さをみて大いに恐れ、鄭襄公は楚に出かけて晋について相談した。荀林父は戦わずして晋の威信を取り戻すことに成功したのである。これによってようやく晋軍は荀林父の元にまとまり、その後は盛んに活動する晋の北方の狄を討伐した。などして下さる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。
カテゴリ: 中国の歴史関連のスタブ項目 | 春秋戦国時代の人物
更新日時:2008年4月8日(火)14:50
取得日時:2008/10/02 09:12