芳村真理
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よしむら まり
芳村 真理
本名大伴 稲
生年月日1935年4月3日(73歳)
出生地 日本東京都中央区
血液型AB
職業元司会者・女優(現在は森林活動家・会社経営者)
活動期間1955年?1992年
家族吉村実子(女優)
主な作品
夜のヒットスタジオ」・「料理天国」・「新春かくし芸大会」司会他
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芳村 真理(よしむら まり、本名・大伴 稲(おおとも いね)/旧姓・吉村、1935年4月3日 - )は、日本司会者女優(1990年代に芸能界の一線を離れて以降は、実業家・森林保全・環境保護活動家の活動が主となっている)。 若い頃は有名なモデルであり、芳村真理と同じ顔をしたマネキン人形は数十年にわたって大量に作られ、全国のデパートやブティック(洋品店)で多く見られた。
目次

1 略歴

2 エピソード

3 出演

3.1 テレビ司会

3.2 司会以外での出演

3.3 セミリタイヤ後(1992年以降)のテレビ出演(おもいッきりテレビ以外)

3.4 ラジオ番組

3.5 CM


4 受賞歴

5 関連人物

5.1 司会者関連

5.2 司会者以外の共演者関連(特に親交がある人物)

5.3 その他


6 外部リンク

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略歴

東京都中央区日本橋の生まれ。生家は農家で、本名の「稲」は妹(実子)とともに農業・農作物にちなんだ名前としてつけられたと思われる。また、芸名の「芳村」は旧姓の「吉村」の「吉」を出身地である日本橋・芳町の「芳」に替えたものである。

都立高校屈指の進学校である東京都立西高等学校の卒業。元セゾングループ代表で現在は小説家の堤清二、元NHKアナウンサーの相川浩らは彼女の先輩、評論家の加藤諦三や、エッセイストの玉村豊男らは彼女の後輩に当たる。

高校卒業後、ファッションモデル事務所の老舗でもあるFMG(ファッション・モデル・グループの略)に所属(ちなみに西条エミや後に漫画家となる中尊寺ゆつこは同事務所における彼女の後輩に当たる)。1950年代後半(昭和30年代前半)において、人気ファッションモデルとして、各デザイナーのショーや「週刊朝日」を始めとする雑誌等の表紙グラビアを飾るなどの活躍を見せる。このモデル時代に「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)で、初めての司会を担当している。彼女のモデルでの活躍は団令子らと共に「ファニー・フェイス」の代表格として「美人」の固定観念を打破する一助となった。

1960年(昭和35年)、大島渚監督の誘いを受けて松竹「霧ある情事」で映画女優として本格的に芸能活動を開始。以後、「黄色いさくらんぼ」、「喜劇駅前シリーズ」の脇役等、約80本の映画に出演。また、「日産スター劇場」(日本テレビ)など、テレビドラマにも活躍の場を広げた。他方、当時隆盛を極めた学生運動等にも賛同しており、リベラルな思想の持ち主としても知られていた。

1962年(昭和37年)、初期の「ザ・ヒットパレード」で共に司会を務めたミッキー・カーチスと熱愛の末に結婚、1児をもうけたが、約2年後に離婚(ミッキーによる「ドメスティック・バイオレンス」(家庭内暴力)を苦にしての離婚であったようである)。

1966年(昭和41年)12月、フジテレビ系「小川宏ショー」の2代目ホステスとなり、以後、女優業を休業し司会者へと転身。当初、番組制作サイトは「夜のイメージ」があるという理由で起用に難色を示し、朝の番組ではまず珍しかったミニスカートを履いて司会をするというスタイルには視聴者の反発も強かったと言われているが、それまでの女性司会者にはない個性の強さがかえって20代・30代の主婦層が共感を覚え、徐々に支持を得るようになった。

1968年(昭和43年)3月、日本コカ・コーラ等、海外企業の日本での現地法人設立に数多く参画していた実業家の大伴昭(後に日本ポラロイド、キヤノン、カルティエ・ジャパンの社長・会長を歴任)と再婚。「小川宏ショー」を降板するが、同年11月、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」スタートと同時に当時の人気司会者・前田武彦(マエタケ)と共に司会に抜擢される。当初はマエタケのアシスタント的色彩が強かったが、徐々に存在感を発揮し始める。マエタケ降板の後からは彼女がこの番組の屋台骨となり、男性司会者は三波伸介井上順古舘伊知郎と交替する中、芳村は1988年(昭和63年)2月の第1000回で降板するまで司会を担当。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki