芙蓉グループ(ふようグループ)とは、旧安田財閥が戦後財閥解体により、再編しできた企業グループである。1964年結成の芙蓉懇談会を本体とする。“芙蓉”の名は、中核だった富士銀行の“富士”の古語読みから。芙蓉のローマ字表記の頭文字を取って「Fグループ」とも呼ばれる。
目次
1 歴史
2 芙蓉懇談会加盟企業
2.1 旧安田財閥
2.1.1 みずほフィナンシャルグループ(旧富士銀行)
2.2 旧浅野財閥
2.3 春光(旧日産・旧日立)系列
2.4 旧大倉財閥
2.5 旧根津財閥
2.6 旧理研系列
2.7 旧森系列
2.8 旧大建系列
2.9 旧セゾン系列
2.10 旧富士銀行融資系列
2.11 グループ共同
2.12 他行の融資系列
3 芙蓉グループに近い企業
3.1 他行の融資系列
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
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安田財閥の創始者・安田善次郎は「金融業は金融業に徹するべき」という哲学をもっていたため、三菱・三井・住友のような他の財閥と異なり、重工業や通商には参入しなかった。しかし、経営資源を金融部門に集中することで金融財閥として大成、安田銀行や安田火災、安田生命などの強力な金融企業を育てた。
安田善次郎の死後は、安田銀行も企業育成に乗り出すようになり、浅野財閥、根津財閥、大倉財閥など小規模財閥への融資を行った。また、新興財閥である森コンツェルンや日産コンツェルンとも親密となる。しかし、やはりこれらは融資関係に留まり、直系企業として産業を垂直支配しようとする動きはなかった。
第二次世界大戦後、安田財閥の持株会社であった安田保善社は、GHQによる財閥解体令を待たずして自主的に解散。プロパーの安田銀行幹部は安田家による同族経営と決別し、1948年、安田銀行は富士銀行と改称した。これ以降も戦前の小財閥との関係は続いた。
富士銀行を中心とした企業集団が明確に形成されるのは、1955年以降のことである。経営不安に陥った商社の高島屋飯田(百貨店高島屋の流通部門を分離したもの)の営業譲渡先が模索される中、三井物産なども候補に挙がったが、結果として富士銀行が主導で丸紅との合併話が進んだ。これに伴い、繊維部門偏重だった丸紅は総合商社としての地位を高め、同時にそれまでメインバンクだった住友銀行から富士銀行へと接近した。
これにより、資金の流れを管理する銀行・モノの流れを管理する商社、という戦後高度経済成長の企業集団に必要な2つの要素が揃い、芙蓉グループの基礎が整った。1960年には富士銀行、丸紅、日本鋼管、昭和電工、大成建設など17社によって芙蓉開発(現・芙蓉総合開発)が設立され、共同事業が行われるようになる。1966年に正式に社長会「芙蓉会」が発足し、芙蓉グループが誕生した。 その後も副社長会「芙二会」、総務部長会「芙総会」、企画部長会「芙水会」と各役職ごとの会も設立、また加盟企業従業員の製品相互利用を目的とする「芙蓉懇談会」も設立された。
芙蓉グループの特徴として、歴史的な因縁で結ばれた財閥系グループと異なり、合理性のある、反面ドライな繋がりであることが挙げられる。芙蓉懇談会の発足に際しても、当時の富士銀頭取・岩佐凱實は「歴史的資本的に強く結びついた閉鎖的なものでなく、相互連携のメリットを求め合う友人のような企業の集まりに」と述べている。後に元富士銀頭取・松沢卓二は「他のグループの企業と連携することは一向に差し支えない」と発言している。
グループの総合化を図り、かつての財閥系列以外の企業も積極的にグループに取り込んだ。