自動車産業(じどうしゃさんぎょう)とは、自動車及び自動車部品の生産、販売、利用、整備に関連した産業をさす[1]。
目次
1 概要
1.1 歴史
2 各国の状況
2.1 米国
2.1.1 米国における2000年代後半の状況
2.2 日本
2.2.1 日本における2000年代後半の状況
2.2.2 産業集積地域
2.3 中国
3 脚注
4 関連項目
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自動車産業は、基幹産業[2]として各国の経済で重要な位置を占めてきた。自動車産業自体の付加価値率は高くないものの、鉄鋼業や半導体などの原材料、自動車部品、はてはイベント会社まで、関連産業の裾野が広く、波及効果が大きいためである[3]。
自動車産業は、ガソリン車の技術の発達、油田発見(1901年、テキサス油田)によるガソリンの安価な供給を背景に、蒸気自動車や電気自動車への優位性を確立していった[4]。当初、1910年頃は特権階級の乗り物であったが、フォード・モデルTの登場により、自動車は大衆化し、モータリゼーション社会が登場した。大衆化による生産量の増加により、自動車産業は急速に拡大していくことになる[5]。
なお、自動車の歴史については、自動車#歴史も参照されたい。
米国は世界で最初に大量生産技術を発明し、市場規模は大きい。フォード、GM、クライスラー(ビッグスリー)を筆頭とした自動車産業は、製造業の中心としてアメリカ産業を牽引してきた。
1980年代には、日米貿易摩擦が発生する。この時期は産業空洞化も議論されたが、その後、再び米国の自動車産業は力をつけていた。
しかし、2000年代後半になると「ビッグスリーの凋落と外国企業の進出」「環境規制の強化」が、自動車産業を揺さぶることになる[6]。
ビッグスリーの凋落と外国企業の進出
ビッグスリーが生産量を削減しデトロイトなどで失業者が生まれる一方で、トヨタ自動車などが工場進出した地域では、新たな雇用が生まれている。「米国には2つの自動車産業がある。1つは成長し、もう1つは縮小する産業だ」(エコノミスト トーマス・クライアー)[6]より引用と評す向きもある。[6]
環境規制の強化
2020年までに平均燃費を35mpgにすることが法律で決まったため、燃費向上のための技術開発費が、各社に重くのしかかっている。自動車業界による法案阻止のロビー活動が失敗し、自動車業界の影響力低下が確認された事例でもある[6]。
明治時代、日本の自動車産業は生まれた。当初は輸入のみで、日本で自動車は生産できなかった。その後、個人ベースでは山羽虎夫(1904年)、内山駒之助(1907年)が純国産車を作成する。昭和時代になると企業による国産車の生産も始まるが、技術水準は高いとは言い難かった(日本車、日本ゼネラル・モータースも参照されたい)。アメリカからの輸入車が増え、対米貿易赤字が膨らんでいく状況に、政府は自動車製造事業法(1936年)を制定し、日本国内企業のみに自動車生産を許可した[7]。これを機に未熟であった自動車部品も成熟していった[7]。この際に自動車生産企業と部品企業とが密接な繋がりを持ったことが、戦後のケイレツに繋がっていくことになる[7]。
1970年代以降、各国に日本製の自動車が輸出されるようになった。
1980年代には、プラザ合意による円高などにより、自動車で日米貿易摩擦が発生する。この時期に多くの自動車企業が貿易摩擦解消のために米国など海外に工場を建設し、産業空洞化が議論された。
1990年代には、ケイレツの解消が指摘されるようになった。
2000年代後半、自動車産業は
日本国内販売台数が横ばい、減少
海外販売台数が増加
といった状況にある。全体としては業績は好調である。
ただし、全体としては好調なものの、グループ内では製造企業と販売企業とで格差がある。海外向け販売で収益を確保できる製造企業に対し、販売企業は日本国内向け販売しか収益を得る場所がない。