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臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国禅宗五家(臨済、?仰、曹洞、雲門、法眼)のひとつで、唐の臨済義玄(?-867年)を宗祖とする。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。公案に参究することにより見性しようとする看話禅(かんなぜん)であり、座禅に徹する曹洞宗の黙照禅と比較されることがある。
目次
1 中国における臨済宗
2 日本における臨済宗
3 伝統
4 悟り
5 公案体系
6 宗派
6.1 建仁寺派
6.2 東福寺派
6.3 建長寺派
6.4 円覚寺派
6.5 南禅寺派
6.6 国泰寺派
6.7 大徳寺派
6.8 向嶽寺派
6.9 妙心寺派
6.10 天龍寺派
6.11 永源寺派
6.12 方広寺派
6.13 相国寺派
6.14 佛通寺派
7 関係教育機関
8 外部リンク
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臨済宗は、その名の通り、会昌の廃仏後、唐末の宗祖臨済義玄に始まる。臨済は黄檗希運の弟子であり、河北の地の臨済寺を拠点とし、新興の藩鎮勢力であった成徳府節度使の王常侍を支持基盤として宗勢を伸張したが、唐末五代の混乱した時期には、河北は5王朝を中心に混乱した地域であったため、宗勢が振るわなくなる。この時期の中心人物は、風穴延昭である。
臨済宗が再び活気に満ち溢れるようになるのは、北宋代であり、石霜楚円の門下より、ともに江西省を出自とする、黄龍慧南と楊岐方会という、臨済宗の主流となる2派(黄龍派・楊岐派)を生む傑僧が出て、中国全土を席巻することとなった。
南宋代になると、楊岐派に属する圜悟克勤の弟子の大慧宗杲が、浙江省を拠点として大慧派を形成し、臨済宗の中の主流派となった。
宗門では、ゴータマ・シッダッタの教え(悟り)を直接に受け継いだマハーカーシャパ(迦葉)から28代目のボーディダルマ(菩提達磨)を得てインドから中国に伝えられた、ということになっている。その後、臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西らによって、鎌倉時代に日本に伝えられている。日本の臨済宗は、日本の禅の宗派のひとつである。師から弟子への悟りの伝達(法嗣、はっす)を重んじる。釈迦を本師釈迦如来大和尚と、ボーディダルマを初祖菩提達磨大師、臨済を宗祖臨済大師と呼ぶ。同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられた。その後時代を下り、江戸時代に白隠禅師によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅ともいわれている。