臨沂(りんぎ、リンイ、簡体字:?沂、ピンイン:L?ny?)は、中華人民共和国山東省の東南部に位置する地級市である。沂河(沂水 / ぎすい)という川に面しているためこのように名づけられた。人口は1,008万人(2003年調査)で、中国でも10位以内に入る人口規模である。人口の99.67%が漢族で、その他30以上の少数民族が各地から集まっている。山東省で面積・人口共に最大の地級市。
目次
1 地理
2 行政区画
3 歴史
4 経済
5 観光
6 教育
7 外部リンク
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面積 17,184 平方km。市域は東経117度24分から119度11分、北緯34度22分から36度22分にかけて広がり、東西161km、南北228kmにわたる。市域内は山地、丘陵、平野が平均的に広がっており、それぞれの割合はほぼ同じである。蒙山は山東省内では泰山に次いで高い山地であり、険しい峰と豊かな森林からなる景観は泰山にも劣らない。市内には東西に、山東省第二の大河・沂河が流れる。気候は温暖で四季は明確であり、降水量は多い。
東は日照市に接し、東南部では黄海に面している。北東は?坊に、北は?博に、北西は泰安に、西は済寧に、南西は棗庄にそれぞれ接している。南は江蘇省で、徐州および連雲港に隣接している。
3区、9県を統轄する。
区
蘭山区・羅庄区・河東区
県
?城県(たんじょうけん)・蒼山県・?南県・沂水県・沂南県・蒙陰県・平邑県・費県・臨?県(りんじゅけん)
臨沂地域の歴史は2400年以上に及ぶ。秦から北宋時代にかけて、この地には琅邪郡(琅?郡、ろうやぐん)があった。1970年には、漢代の墓から孫武の書物(孫子)が出土している(竹簡孫子)。
他にも臨沂地域各地からは、以下にあるような中国史に残る人材が輩出されてきた。
諸葛亮(三国時代の蜀の政治家・軍略家)
曾子(孔子の弟子、『孝経』の著者)
荀子(戦国時代末の思想家・儒学者)
蒙恬(秦の武将)
琅邪王氏(琅?王氏、東晋から南北朝時代にかけての中国の名門一族)
王祥(二十四孝の登場人物の一人、「臥冰求鯉」の故事で知られる)
王導(西晋及び東晋の政治家)
王戎(竹林の七賢の一人)
王羲之(書法家)
王融(文学者)
王志偉(学者)
琅邪顔氏
顔之推(『顔氏家訓」の作者)
顔真卿(書法家)
匡衡(前漢の学者、苦学で知られる)
劉洪(数学者・天文学者、乾象暦を編纂)
左宝貴(日清戦争時の軍人)
孫?(明代の武将、倭寇などと戦う)
王?(明代の政治家)
山東省内では地理的要因などから、経済的な地位は長らく低迷していた。周辺の済南や青島、連雲港などからの鉄道や高速道路といった交通網が整備され、加えて人口の多い臨沂の市場が拡大するにつれ、経済発展の勢いが強くなった。
臨沂は気候が温和なことから農業や林業に適し、巨大な農業発展基地がいくつも建設されている。穀物、野菜、果物、落花生、にんにく、畜産品などが生産され、中国内外に売られている。また中国第三位の卸売市場や、800以上の農産物工場も作られている。
工業では建材業が盛んで品質が評価されており、建材業への外資の投資も多い。その他、紡績、食品、化学、薬品、機械、電子、採炭など鉱工業も盛んになっている。臨沂ハイテク技術産業開発区、臨沂経済開発区といった大型工業団地も建設されている。また陶芸など伝統的な手工業も歴史が長い。
2002年のGDPは710億人民元(160億米ドル)で、120億人民元は第一次産業から、340億人民元は第二次産業から、250億人民元は第三次産業からとなっている。
市内の中心は、1990年代に軍の兵舎跡に建設された人民広場である。東西500m、南北300mの大きな広場の地価はショッピングセンターやエンタテインメント施設が入っている。市中心部の北には、当地出身の書家・王羲之を記念した公園がある。
新中国建国後の十大発見の一つと呼ばれる竹簡孫子の出土した銀雀山漢墓のほか、以下のような名所がある。
華東烈士陵園(国家文物保護単位)
王羲之故居
諸葛亮故里
顔真卿故里
漢画像石墓
臨沂文廟
五賢祠
王祥故里
宝泉寺
集柳碑
顔林
左宝貴衣冠家
漢闕
荀子の墓
馬陵古戦場
孫?紀念館
王?墓石刻造像
斉長城の穆陵関の遺跡
北溝頭古文化遺跡
馬?山紅襖軍起義旧跡
算聖・劉洪の故郷