脱北者(だっぽくしゃ、韓国語:???)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治体制や生活環境を苦にして同国を脱出する人のこと。北朝鮮難民。かつては帰順者(グィスンジャ、???)と呼ばれていた。
目次
1 概要
2 変質
3 脱北者の亡命ルート
4 脱北者の社会適応
4.1 韓国での生活
5 中国東北部の脱北者
6 日本での報道
7 脚注
8 著名な脱北者一覧
9 関連項目
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本来は大韓民国で朝鮮民主主義人民共和国から亡命してきた人のことをこう呼んでいたが、北朝鮮からの脱出者の増加によって対象範囲が拡大された。また、脱北者の増加は日本でも注目するところとなり、日本のマスコミも使い始めた。特に瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件などに見られる第三国への亡命を求める行動は衝撃を与えた。
2005年1月9日に韓国政府は脱北者の呼び名を「セトミン:???」に改めると発表した。セト民は韓国語で「新しい土地で人生への希望を抱いて生きる人」の短縮。しかし、反発を受け、3日後の12日には、この改称は撤回された。ただし、大学の入試要項等、一部では「セト民」の名称を使っている。
脱北者は、政治的な理由で亡命した者から、生活苦で国外へ逃れた者へと変質している。
かつて北朝鮮を脱出して韓国に亡命してくる者は、大抵が政治的な理由で国を追われた人々であった。韓国でも1980年代まで厳しい反共産主義の独裁政権であったため、北から逃れてきた人は、まずスパイでないか徹底的に取り調べられ(現実にスパイが多数韓国に潜入していた)、拷問もされたという。
1990年代から、脱北者に対する措置が寛大化すると、次第に脱北者が増えていく。1993年に北朝鮮で大水害が発生し、以降水害と旱魃が毎年のように発生、深刻な食糧難が報じられるようになると、大飢饉が報じられた1995年から徐々に亡命者が増え始め、2002年には遂に1,000人を超えた。
2004年には韓国に亡命した脱北者が累計6,000人を超え、近い将来確実に10,000人を超えると考えられるようになる。そして、2007年2月16日に遂に10,000人を超えたと韓国統一省当局者が明らかにした。 ⇒[1]
さらに、中国、東南アジアに潜伏していると思われ、潜在的な数は数十万人になると推測されている。
韓国に到達した脱北者の推移
1990年 - 9人
1994年 - 52人
1995年 - 41人
1996年 - 56人
1997年 - 85人
1998年 - 72人
1999年 - 148人
2000年 - 312人
2001年 - 583人
2002年 - 1,141人
2003年 - 1,281人
2004年 - 1,830人
出典: ⇒大韓民国・統一部のデータ(1994年 - 2003年)
兵士の一部には38度線(軍事境界線)を直接越境するものもいるが、衛兵や高圧電線、地雷原に阻まれ、途中で命を落とす事が多いため、決して主流ではない。漁船での集団亡命も朝鮮戦争直後は数多く行われていたが、長く姿を消していた。
主なルートは、中華人民共和国への脱出が多いとされる。中国と北朝鮮の国境には、国境警備兵と呼ばれる兵士がかなりの数で見張っているが、大半の兵士は彼らも生活が苦しいので賄賂などを渡したり、あるいは彼らの目を盗んで脱出する者が多いとされる。大抵は川幅が狭く、冬季に凍結する豆満江(図們江)を渡り、延辺朝鮮族自治州の朝鮮族に匿われる。
しかし中国当局は北朝鮮との外交関係を重視して、脱北者を難民とは認めておらず、発見次第不法入国者として北朝鮮に送還する協定を両国で結んでおり、これにより脱北者は中国内では潜伏生活を送る。摘発され、北朝鮮に送り返されると、初犯の場合は労働や思想改造などの処置を受け、再犯では死刑となる場合もあると語られている。
うまく中国への潜入に成功した者の中の一部は、韓国などから支援があったり、各国大使館や外国人学校などに逃げ込み、助けを求める(外国メディアはこれを「劇場型亡命」と名づけた)。その後、多くが同胞の韓国に亡命する。
モンゴル経由の亡命もあったが、近年は国境付近での中国側の摘発が厳しくなっており、中国には長く潜伏せずに通過し、東南アジア経由で第三国に亡命する人が増えている。
なお、脱北者を支援する団体が韓国、日本をはじめ西欧にもいくつか存在し、代表的なものは北朝鮮難民救援基金と呼ばれる団体である。彼らは脱北者と接触し、大使館や外国人学校への駆け込みを準備する一方、その様子をテレビカメラで撮影し、韓国や海外メディアに提供することが多い。この動きに警戒感を示しているのは中国の公安当局で、中国内で活動する支援団体を次々と摘発している。
2006年5月には韓国籍を取得した脱北者が米国で初めて「政治亡命」を認められた。韓国政府に政治的弾圧を受けたと主張する脱北者は他にもおり、今後の動向が注目されている。
多くの脱北者の受け入れ先である韓国では、1997年7月14日に制定された「北韓離脱住民の保護及び定着支援に関する法律」と言う法律があり、脱北者の生活支援を行っている。彼らは、まずハナ院(???、北韓離脱住民定着支援事務所)と呼ばれる教育施設に収容され、資本主義社会の習慣を教授する。その後数週間から数ヶ月程度で一般市民と変わらない生活に移行する。
彼らの多くは北朝鮮出身者のコミュニティを形成し、新しい亡命者の手助けをしている者もいる。