脚気
無料のエ○本?高画質
動画も対応オススメ!

[Wikipedia|▼Menu]

ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。免責事項もお読みください。

脚気(かっけ、英 beriberi)は、ビタミンB1欠乏症の一つで、ビタミンB1の欠乏によって心不全末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心(しょうしん))を併発する事から、脚気衝心と呼ばれることもある。

ほかのビタミンB1欠乏症による代表疾患には、ヴェルニッケ脳症や高ピルビン酸血症がある。
目次

1 概要

2 歴史

3 病態

3.1 分類

3.1.1 乾性脚気

3.1.2 湿性脚気



4 検査

5 歴史上の有名死亡者

6 脚注

7 関連項目

//


概要

江戸時代江戸では、富裕層に精米された白米を食べる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江戸患いと呼ばれた。大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。戦後国民の栄養状態の改善に伴い激減したが、1975年ごろからジャンクフードの普及によって再発してきた。アルコール依存症患者にも多く、アルコール分解の際にビタミンB1が消費される事と、偏食が関与している。最近は高齢化が進み、ビタミンB1を含まない高カロリー輸液での発症も問題となっている。


歴史

ビタミンの存在すら発見されていなかった明治時代においては、西欧人にはみられない日本独特の風土病と認識されており、都市部の富裕層や陸軍の若い兵士に多発する原因不明の疾患として対策が急がれていた。

本症を栄養障害の一種と断定したのが高木兼寛、ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎である。脚気の原因を巡ってはドイツ系の学派が細菌による感染症説を主張、英国系及び漢方医学の学派が栄養障害説を主張していた。さらに、大日本帝国陸軍がドイツ系学派と、大日本帝国海軍が英国系学派と提携するという構図で対立していた。

高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および。のちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年別の軍艦が行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果として西洋食の艦において脚気患者が出なかった。このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は極めて不評であったので、西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。これによって、海軍における脚気は根絶された。

だが、海軍で脚気が撲滅された後も、陸軍では森林太郎(森鴎外)、石黒忠悳等が科学的根拠がないとして麦飯の食用に強硬に反対し続けた。しかし、師団付きの軍医たちが、現場の判断で麦飯を採用したため、陸軍でも脚気は根絶した。

自身も脚気に苦しんでいた明治天皇が海軍や漢方医による食事療法を希望した際にドイツ系学派の侍医団から反対された事からやがて西洋医学そのものへの不信を抱いて一時期には侍医の診断を拒否するなどしたため、天皇の糖尿病が悪化した際に侍医団が有効な治療手段が取れなかったのではないかとも言われている。

日清戦争となると、食料の調達は、軍中央の専決事項となった。麦飯反対派の軍医たちが、麦の調達をしなかった。そのために陸軍で脚気患者は数万人発症し、病死者は4000人と伝えられている。戦死者は300人で戦死者より脚気で病死した兵士のほうが多かった(なお史料により人数は異なる)。

日露戦争の際にも、日清戦争と同様に、麦飯反対派の軍医(代表者としては、当時陸軍軍医総監だった森林太郎(森鴎外))たちが、麦の調達をしなかった。そのため陸軍の脚気患者は約25万人が発症し、病死者は約2万7800人とされる。なお日露戦争の戦死者は約4万7000人。ただし戦死者中にも脚気患者が多数いるものと推定される(日清戦争時と同様に史料により人数が異なる。なお、高木の提案を採用して兵員に麦飯を支給していた海軍では軽症患者が少数発生したのみで死者は無しと伝えられている)。

なお、ビタミンB1が発見された後も、一般人にとっては代わらず難病として認定され続けた。その理由としては、ビタミンB1製造を天然物質からの抽出に頼っていたため値段が高かったこと、元々消化吸収率が良くない成分であるため、発病後に当該栄養分の摂取が困難であり発病後の治療が困難であったことが挙げられる。

脚気が完全に根絶されたのは1952年になってからで、この年に武田薬品工業が高吸収率を誇るビタミンB1誘導体の工業生産に成功して販売開始し、安価かつ発病後もほぼ確実にビタミンB1の摂取が可能になってからである。アリナミンの項も参照。ビタミンB1誘導体にはベンファチオミン、ジセチアミンなどもある。

しかし、1975年には脚気が再燃し[1][2]、原因には砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードがあることが分かった[3]

なお、明治時代から昭和初期にかけて「迷信的」と言われて絶滅寸前だった鍼灸医等の漢方医であったが、 栄養起源説が定着する前に明治末期より西洋医学の栄養学の概念を取り入れて、麦飯の推奨や脚気治療に対して味噌汁にを投入する「糠療法」を提唱し民間療法として取り入られ始めた。これが効果を示したことで、一般民衆において漢方医の地位の維持に貢献したと言う側面がある。(板倉聖宣『模倣の時代』参照)


病態

本症は多発神経炎浮腫(むくみ)、心不全(脚気心、脚気衝心)を三徴とする。


話題の着エロボイス!
今なら無料ダウンロード♪

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:12 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki