能古島
面積3.93km2
海岸線長12km
最高標高195m
所在海域博多湾
所属国・地域 日本 福岡県
表・話・編・歴
能古島の位置(紫色が西区)海ノ中道上空からの能古島(左)。他に志賀島(右)と玄海島(右奥)も見える。
能古島(のこのしま)は、福岡県福岡市西区に所属する島。博多湾の中央に浮かぶ。
大都市の目の前にありながら僅か10分の船旅で都会の喧噪を忘れられるとあって、福岡市民の身近な行楽地として親しまれる。福岡でも屈指のコスモスの名所で、満開のころは一年で最も混雑する。作家の檀一雄が晩年を過ごした島でもあり、毎年5月の第3日曜日には彼を偲んで「花逢忌」が営まれる。
目次
1 地理
2 歴史
3 観光
4 交通
4.1 姪浜渡船場までの交通
4.2 能古島への交通
4.3 島内の交通
5 産業
6 かいわれ大根発祥の地
7 能古島に関する作品
8 関連項目
9 外部リンク
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博多湾の中央に位置し、南北3.5km、東西2km、周囲12km、面積3.93km2。最高所標高195m。人口は約800人。
島の渡船場からアウトレットモールのマリノアシティ福岡まで直線距離で2km弱であり、観覧車Sky Dream Fukuokaが間近に見える。福岡タワーや福岡Yahoo! JAPANドームのあるシーサイドももち地区も約5km。近代的ビルや高層マンションが対岸に立ち並ぶも自然が満喫できるというロケーションである。
島の西海岸には3億年前の変斑れい岩・結晶片岩が波に洗われ、その横には1億年前の花崗岩がある。4000万年前新生代古第三紀の礫岩・紫赤色頁岩からなる残島層(のこのしまそう)も島内で露頭し、能古島は隆起と沈降を繰り返してきたことが伺える。港の防波堤の横には500万年前に噴出したマグマの火道が残り、含鉄玄武岩は島の各地で見られる。
古くは「残」「能許」「能挙」「乃古」とも記載され、早良郡であった。
奈良時代には島北端の也良岬(やらみさき)に防人が設置される。『万葉集』には「沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ」と詠まれている。アイランドパーク内に狼煙台が復元されている。
また遣新羅使が寄港地であった対岸糸島半島の唐泊で出航を待つ心情を綴った「風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の亭に 数多夜ぞ寝る」という歌も『万葉集』に残されている。
平安時代中期に編纂された『延喜式』兵部式には、島に馬牧があった旨の記述が残されている。
島南東の城ノ浦には城崎城の遺構が残っている。これは藤原純友家臣の伊賀寿太郎が築城したと伝えられる。
1019年の刀伊の入寇や1281年の弘安の役に際しては島に上陸された。
江戸時代には福岡藩の鹿狩りの場とされていた。しかし、鹿が農産物を荒らすため、対策として1836年に島の南北を分断するような石垣を完成させて島南側の耕地への鹿の侵入を防いだ。これは鹿垣(しかがき)と呼ばれ、幅3mの溝を掘り、溝の南側に高さ2mに土を盛って土塁とし、土塁の北面に30?50cm大の石を積んだ構造であった。幕末の1853年にはこの狩場でスターリング英国東洋艦隊提督が鹿狩りに興じた。