考古学(こうこがく)は人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。文字による記録以前(有史以前)の人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期(有史以後)についても文献史学を補完するものとして、またはモノを通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり、中世(城館跡、廃寺など)・近世(武家屋敷跡など)の遺跡も考古学の研究分野である。近代においても廃絶した建物(汐留遺跡;旧新橋停車場跡など)が発掘調査されることがある。
考古学は、遺物の型式的変化と遺構の切り合い関係や前後関係による層位から出土遺物の通時的変化を追う個々の遺跡の編年を縦軸とし、横軸に同時代と推察される遺物の施文技法や製作技法、表面調整技法などの比較を通して構築される編年論を基盤として、遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指している。
目次
1 考古学の位置づけ
2 考古学の歴史
3 現代考古学の特徴
4 考古学のジャンル/さまざまな考古学
5 考古学の方法
6 考古学の成果
6.1 世界の古代文明・先史文化
6.2 考古学からみた日本
6.3 日本列島の北と南
6.4 トピック
7 文化財の保護と活用
8 関連項目
8.1 資料
8.2 年代
8.3 方法
8.4 周辺領域
8.5 関連団体
8.6 その他
9 リンク
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アメリカでは考古学は人類学の一部であるという見解が主流であるが、日本では従前より歴史学の一分野とみなされる傾向にあり、記録文書にもとづく文献学的方法を補うかたちで発掘資料をもとに歴史研究をおこなう学問ととらえられてきた。ヨーロッパでは伝統的に先史時代を考古学的に研究する「先史学」という学問領域があり、歴史学や人類学とは関連をもちながらも統合された学問分野として独立してとらえられる傾向が強い。
考古学は比較的新しい学問であり、オーガスタス・ピット・リバーズやウイリアム・フリンダース・ペトリらによって組織的な研究が始められたのは19世紀である。20世紀にはモーティマー・ウィーラーらに引き継がれた。
日本では、動物学者であったエドワード・モースが1877年(明治10)大森貝塚の調査を行ったのが、日本近代考古学のあけぼのとされる。しかしモースの教え子が本来の専攻である動物学に進んだため、モースが科学として開いた近代考古学は順調に進まなかった。
宮崎県の西都原古墳群の発掘が県知事の発案で1912年(大正元)から東京帝国大学(黒板勝美)と京都帝国大学(喜田貞吉・浜田耕作)の合同発掘が行われた。1917年(大正6)京都大学に考古学講座がおかれた。浜田耕作を中心に基礎的な古墳研究が始まった。考古学における大正時代は、古墳研究の基礎資料の集積時代であった。
20世紀の間に、都市考古学や考古科学、のちには「救出考古学」(レスキュー・アーケオロジー、日本でいう工事に伴う緊急発掘調査を指す)の発展が重要となった。
現代考古学の特徴としては、
他の学問分野(原子物理学、化学、地質学、土壌学、動物学、植物学、古生物学、建築学、人口統計学、冶金学、社会学、地理学、民俗学、文献学、認知科学など)との連携がいっそう進んでいること
考古データの急増や研究の深まりを反映し、対象とする事象・時代・地域・遺構の種別などによって考古学そのものの細分化や専門化が著しいこと、また、新しい研究領域が生まれていること
があげられる。
考古学のジャンル/さまざまな考古学
水中考古学
水中にある遺跡や遺物などを調査する考古学。19世紀スイスの杭上家屋跡の確認を契機に、フランスのクストーが世界各地の海底遺跡の調査を開始したのが始まりである。
宇宙考古学(衛星考古学)
1972年にランドサット1号が打ち上げられて以来、人工衛星データによる地球観測の技術は、気象、災害、環境、海洋、資源など、さまざまな分野の調査や研究に応用され、これまでに多くの成果をあげてきた。