老上単于(ろうじょうぜんう、? - 紀元前161年)は、前漢前期の匈奴の単于(在位:紀元前174年 - 紀元前161年)。稽粥という名も伝わる。
目次
1 生涯
2 后妃
3 子女
3.1 子
4 関連
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冒頓単于の子として生まれ、父の死により単于に即位した。漢の文帝の娘である公主を正妃として迎えた。
正妃と共に匈奴に入り、帰順を申し込んだ宦官の中行説を重用し、その施政を行ない、紀元前166年には14万騎を率いて長城を越え、多くの民衆と財貨を掠奪した。以後、連年のように漢に侵入し、特に雲中や遼東地方に甚大な被害を与えた。紀元前162年に漢と講和を結んだ。
また、在位期間中に月氏を攻め、その王の殺害も行なっている。
関連
中国史の人物一覧
先代:
冒頓単于匈奴の帝王
第3代:BC174年 - BC161年次代:
軍臣単于
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カテゴリ: 漢代の人物 | 匈奴の単于 | 紀元前161年没 | 中国の歴史関連のスタブ項目
更新日時:2008年8月31日(日)07:26
取得日時:2008/09/02 12:30