羅先直轄市
{{{picture-type}}}
{{{caption}}}
各種表記
チョソングル:?????
漢字:羅先直轄市
平仮名:
(日本語読み仮名){{{hiragana}}}
片仮名:
(現地語読み仮名)ラソン=ジッカルシ
ラテン文字転写:{{{latin}}}
ローマ字表記:Ras?n jikhalsi
羅先直轄市(ラソン ちょっかつし)は朝鮮民主主義人民共和国北東部に位置する直轄市。人口約13万人(1992年)。韓国では「ナソン」(??)と発音する。
羅先はかつて羅津・先鋒(旧称・雄基)と並称されていた2つの地域からなる。海外資本に開かれた特区「羅先経済貿易地帯」を擁し、行政的な位置づけの変化が激しい。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 年表
3 羅津・先鋒経済貿易地帯
4 交通
5 主な名所等
6 主な宿泊施設
7 関連項目
8 外部リンク
9 註
//
日本海に面する港湾都市。市域の東北では豆満江が日本海に注ぐ豆満江デルタ地帯となっている。豆満江(中国名:図們江)の対岸は中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州東端の琿春市、ロシア連邦沿海地方のハサンである。
羅津港は昔から天然の良港であり、毎年夏には多数の中国人が観光に訪れる。
雄基地区には新石器時代の貝塚があり、日本統治時代に調査が行われている。古代には高句麗・渤海国の地であった。女真族との抗争の末、15世紀前半に朝鮮王朝の支配下に入った。
日本統治時代、羅津(ラジン、らしん/??)と雄基(ウンギ、ゆうき/??)という2つの町があり、もともと咸鏡北道慶源郡に属していた。これらの町は、日本からの船も入り工業都市ともなっていた清津市の近くにあたり、羅津は漁村、雄基は国境を守る部隊の駐屯するそこそこの大きさの港町だった。
1932年に満州国が建国されると、この地は日満間の連絡ルートとして脚光を浴びることとなる。当時、日満間のルートは以下の1,2が使われていたが、3が想定されるようになった。
朝鮮海峡を渡り釜山から鉄路を経由する陸上ルート
大連に入港して南満州鉄道を使う大連ルート
朝鮮北部へ海路で渡りそこから満州東部に鉄路で連絡する日本海ルート
咸鏡北道北部は東部満州には一番の近道であるほか、沿海州のソ連軍からの防衛など軍事作戦のために重要な地域であると見なされ、開発が進められた。とくに満洲に最も近く良港である羅津には、海陸を連絡する大規模港湾が新たに整備された。朝鮮総督府鉄道路線の満鉄への委託や、私鉄の買収により、満州(延吉や牡丹江)へ連絡する建設中の鉄道と既存の鉄道が結びつけられた。境港・敦賀・新潟などから清津?羅津?雄基の定期船が運航され、ここから多くの日本人が満州東部へ渡った。
1945年8月8日、ソ連軍の対日参戦とともに羅津・雄基は空襲を受け、12日にソ連軍が最初に上陸した。北朝鮮の「正史」では、8月12日に金日成率いる朝鮮人民革命軍が羅津や雄基などに上陸したことになっている。朝鮮民主主義人民共和国の成立後、北辺に位置するこの地域はソ連や中国との貿易でややにぎわう程度だった。1980年代はじめに、朝鮮人民革命軍の最初の上陸地であることを記念して、雄基は先鋒(ソンボン)と改名された。
1980年代末から、市場経済化の進むロシア極東(沿海地方)、同じく市場経済化が進むが港湾のない中国東北部、そして北朝鮮の3ヶ国が接する場所として注目を集め、この3ヶ国が共有する豆満江デルタとその周辺を北東アジアの玄関となる国際貿易地帯にする計画が浮上した。1990年代はじめ、国連開発計画の主導で進められる豆満江地域開発計画の一環として「羅津・先鋒経済貿易地帯」が発足して羅津 - 先鋒直轄市が咸鏡北道から独立し、政治的・思想的に問題のないエリート階層がこの地に転入して例外的に市場経済化の実験が行われていた。2000年8月に羅津-先鋒の地名が「羅先」に改称され、現在に至る。
2005年1月、再び咸鏡北道に編入され、特級市となったと報道されたが[1]、2006年9月には中央政府の直轄市として統治されていると韓国側では観測している[2]。