緒方孝市
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この項目では広島東洋カープの緒方孝市について記述しています。元読売ジャイアンツの緒方耕一については緒方耕一を、元競輪選手の緒方浩一については緒方浩一をご覧ください。

緒方 孝市
広島東洋カープ No.9
基本情報
国籍 日本
出身地佐賀県鳥栖市
生年月日1968年12月25日(39歳)
身長
体重181cm
80kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置外野手
プロ入り1986年 ドラフト3位
初出場1988年9月17日阪神戦(甲子園)
年俸4,500万円(推定)
経歴


佐賀県立鳥栖高等学校

広島東洋カープ(1987 - )

■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手

緒方 孝市(おがた こういち、1968年12月25日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の広島東洋カープに所属するプロ野球選手
目次

1 来歴

1.1 広島東洋カープ入団

1.2 打撃開眼

1.3 盗塁技術

1.4 守備技術


2 記録

3 経歴

4 タイトル・表彰・記録

5 年度別打撃成績

6 年度別守備成績

7 関連項目

//


来歴


広島東洋カープ入団

佐賀県立鳥栖高等学校では3年春の九州大会はベスト8、夏は県大会でベスト4。

高校1年生の時は167cmと小柄な二塁手であったものの2年生で170cmを超え3年には180cm台に成長していた。 3年時に打ったライトへの強烈なファールによってスカウトが獲得を決めたという。[要出典]

1986年ドラフト3位で広島東洋カープ内野手二塁手)として入団。後に外野手へと転向し、走攻守揃った外野手としてチームを牽引している。

1988年入団2年目に一軍出場を果たし、5年目の1991年には100試合以上に出場。同年の日本シリーズでもスタメンとして出場するなど、早くから期待を集めるが、毎年のように怪我に泣かされていた。しかし1995年のが転機となり、野球への取り組み方に甘えがなくなり、1995年アキレス腱を断裂した前田智徳の穴を埋める形でレギュラーに定着。このことを評して当時の三村敏之監督は「緒方の母は緒方を二度生んだ」と発言、話題となった。規定打席不足ながら、リーグ8年ぶりとなる40盗塁以上を記録。結局、47盗塁で盗塁王を獲得した。

1996年オフ、女優タレントとして活躍中の中條かな子できちゃった結婚。その後、1997年まで当時リーグタイ記録となる3年連続盗塁王を獲得。1996年にはリーグ11年ぶりとなる50盗塁を記録した。この3年間で計146盗塁を記録したが、その間、失敗は僅か26だった(成功率.849)。

また、2008年の時点で広島東洋カープに選手として20年以上在籍した選手は緒方を含めて、大野豊の22年、衣笠祥雄の23年の3人のみである。

2008年5月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(広島市民球場)で、8回に代打として出場し、アブレイユから逆転2ランホームランを放った。このホームランは、セリーグ通算代打本塁打1500号となった。


打撃開眼

課題は粗さの残る打撃だったが、1995年を境に頭角を現す。特に1998年は右方向へのバッティングをマスターし、開幕から高打率を記録。6番という打順の関係上、例年ほどではなかったものの、盗塁数も順調に伸び、当時のリーグ新記録となる4年連続盗塁王に加え、首位打者打点王も視野に入るほどの好調で、本塁打も量産し、トリプルスリーへの期待も高まった。が、6月12日甲子園で行われた阪神戦の9回裏に、八木裕が放った大飛球を追ってフェンスに跳び蹴りをした際に、右足首を捻挫して戦線離脱。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki