紳助・竜介
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島田紳助・松本竜介(しまだしんすけ・まつもとりゅうすけ)は、1970年代後半から1980年代前半にかけて活動した吉本興業所属のお笑いコンビ。略称「紳竜」(しんりゅう)。

当時の漫才ではスタンダードとされた背広のスタイルを廃して、リーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」で、漫才ブームを牽引するコンビとなる。
目次

1 メンバー

2 略歴

3 エピソード

4 受賞歴

5 出演番組

5.1 CM


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メンバー

島田紳助(しまだ しんすけ、本名:長谷川公彦(はせがわ きみひこ)、1956年3月24日 - )ボケ担当。ポストB&Bを狙ってコンビを結成。解散後はタレント・司会者として活動中。

松本竜介(まつもと りゅうすけ、本名:松本稔(まつもと みのる)、1956年4月6日 - 2006年4月1日)ツッコミ担当。元々は花月劇場の進行役。解散後は事業家に転向したが、借金のため自己破産した。2006年に脳幹出血のため死去。


略歴

1975年(昭和50年)9月、紳助が明石家さんまにコンビ結成を断られ、その後さんまが竜介を紹介してコンビ結成。

1981年(昭和56年)、井筒和幸監督の映画『ガキ帝国』に二人揃って主演。

1985年(昭和60年)当時ほとんど無名に近かったダウンタウンのスローテンポな舞台を見た紳助が「もう俺らの時代は終わった」と解散を決意。その後竜介の理解を得て、わずかその数日後に解散した。

2006年(平成18年)二人が50歳になったときに記念として一度限りの復活漫才が企画される。衣装のつなぎも用意されていたが、竜介の死去に伴い計画は中止となった。


エピソード

全盛期のある日に、六本木で、偶然、浅丘ルリ子大原麗子をナンパしたという逸話がある。

一度限りの復活漫才は、「第一回M-1グランプリでの選考の際の余興として」という話もあった。


受賞歴

1978年(昭和53年)3月:昭和52年度 第8回 NHK上方漫才コンテスト 優秀敢闘賞

1980年(昭和55年):第9回 上方お笑い大賞読売テレビ) 銀賞

1980年(昭和55年):第15回 上方漫才大賞ラジオ大阪) 新人賞

1981年(昭和56年):昭和55年度 第1回 花王名人大賞(関西テレビ) 新人賞


出演番組

誰がカバやねんロックンロールショー関西テレビ

笑ってる場合ですよ!フジテレビ

オレたちひょうきん族(フジテレビ)

花王名人劇場(関西テレビ)

人形劇 三国志NHK

8時だがっぽり!ザ・マンザイクイズ文化放送

紳助竜介の東大一直線(文化放送)

ほか


CM

日清食品 日清焼そば

黒龍堂 アクネトリオ

小林製薬 ブルーレット

ほか

この「島田紳助・松本竜介」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 人物伝)。
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | お笑い芸人 | 吉本興業

更新日時:2008年6月17日(火)11:15
取得日時:2008/07/25 02:02


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