紙幣(しへい)とは、公的権力(主に国家)が通貨・貨幣として強制通用することが認められている特定デザインの証券である。政府の発行する政府紙幣は不換紙幣であり、法的拘束力を以って通用させているのに対し、銀行券は金準備などの資産の裏づけにより信用力を持たせている。現在の多くの国では中央銀行の発行する銀行券を紙幣とされることが一般的であるが、シンガポールなどでは政府機関が紙幣を発行している場合がある、
現在の日本では、政府紙幣は存在しないが、日本銀行が開業するまでは政府紙幣が発行されたほか、大正時代や昭和時代には小額銀貨の代用としての銭単位の低額の政府紙幣が発行されたこともある。そのため、紙幣とは「強制通用力を付与された銀行券」を含むものが一般的な広義の解釈の紙幣である。以下、特に断りのない限り「紙幣」とは狭義の「政府紙幣」ではなく、広義の紙幣を意味する。
目次
1 歴史
2 偽造防止技術
3 紙幣にまつわるエピソード
4 収集
5 関連項目
6 外部リンク
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世界初の紙幣は宋代に鉄銭の預り証として発行された交子である(中国の貨幣制度史を参照のこと)。ヨーロッパでは、民間の銀行が発行した金銀の預り証である金匠手形が通貨として流通していたが、国家による承認を受けたものとしては1661年にスウェーデンの民間銀行・ストックホルム銀行が発行したのが、銀行券としては最初のものである(だが、7年後に同行が経営破綻したために政府が受け皿として国立のリクスバンクを創設、これが世界最初の中央銀行となった)。また、1694年にはイングランド銀行が設立され、同行の約束手形が発行された。同行の約束手形は当初手書きであったが、のちに印刷に改められたことにより、交換手形として広く流通し始めた。
金本位制(または銀本位制)ができると、金(または銀)との交換ができることを保障に、紙幣を発行していた。しかし、1929年の世界恐慌の時に、金の保有量しか紙幣が発行できない金本位制では、政府が必要な際に紙幣を発行できず、そのため公共事業などができず、不況を悪化させることがわかり、各国で金本位制を廃止し、管理通貨制度へ移行した。
本位貨幣たる金貨や銀貨と交換ができる紙幣のことを兌換紙幣と呼び、券面にそれらの記載がある。日本の兌換紙幣は最初は兌換銀券であったが、1897年(明治30年)に金本位制が採用されてからは、兌換金券となった。アメリカでは、ブルーシールの兌換銀券とイエローシールの兌換金券があった。
日本での紙幣の始まりは、記録上は『建武記』に記されている、後醍醐天皇が1334年(建武元年)に内裏造営資金確保のために発行されたとされる楮幣(ちょへい)であるが、現物は残っておらず、実際に発行されたかも疑問視されている。現存する最古の紙幣は、1623年(元和9年)に伊勢国山田の商人が発行した「山田羽書」である。
江戸時代には、各藩が財政難の打開策として「藩札」を発行した。最初の藩札は諸説あるが、越前国の福井藩が幕許を得て1661年(寛文元年)に発行したものとされている。この他、こうした古札類には藩以外にさまざまな発行元があったことが知られている。武家発行の札では、藩と同様に知行地を有していた旗本が発行したもの(旗本札)や、幕府(兵庫開港札など)、御三卿(一橋家)、奉行所や代官所、藩家老が発行したものなどがある。更に京、大和国を中心に宮家・公家・寺社が発行したもの(宮家公家札・寺社札)、各地の町や村が発行したもの(町村札)、特に宿場町が発行したもの(宿駅札)、鉱山の経営者が人夫の間で流通させたもの(鉱山札)、商家や豪農などの個人が発行したもの(私人札)などが知られている。なお、これらは兌換性が前提の規格化された一覧払約束手形ともいうものである。また、(少なくとも日本全国において)強制流通力を有さない点などにおいて、藩を地方政府とみなさないという視点に立てば厳密な意味での貨幣(紙幣)といいがたいものがある。
明治時代に入ると、大蔵省が大蔵大臣の名において発行する日本政府紙幣(日本帝国政府紙幣、大日本帝国政府紙幣もあり)や日本銀行券が発行された。また、戦争において占領地でつかわれた軍用手票などがある。
第二次世界大戦後、金融緊急措置令により6種類の紙幣が発行された。これをA券とよび、以後、B券、C券、D券が発行された。
2000年(平成12年)7月19日には数十年ぶりの新額面であり、また当時の最新偽造防止技術を導入した二千円券がD券として発行された。この偽造防止技術には後記のE券にも受継がれている
2004年(平成16年)11月1日には20年ぶりに新しいデザインの一万円券、五千円券、千円券が日本銀行券E券として発行された。