粽(ちまき、中国語「粽 (?音: zong、注音: ????)」、「粽子 (?音: zongzi)」、「?子」)は、もち米やうるち米、米粉などでつくった餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、ササなどの葉で巻き、イグサなどで縛った食品。葉ごと蒸したりゆでて加熱し、葉を剥いて食べる。もともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わった。日本では米粒の原型を留めないものが多く、中国では米粒の原型が残り、かつ米以外の具を加えているものが多い。その他、沖縄や東南アジアにも類似の食品がある。
中国の伝説では、楚の愛国者だった政治家で詩人の屈原が、汨羅江(べきらこう)で入水自殺した後、民衆が弔いのため、また、魚が屈原の亡骸を食らって傷つけないように魚に米の飯を食べさせるため、端午の節句の日(端午節)にササの葉で包んだ米の飯を川に投げ入れたのが起源とされる。このため、日本でも中国などでも端午の節句に食べる習慣がある。
1989年の旧暦端午の節句に、台湾彰化県では重さ350キログラムもの巨大ちまきが作られたことがある。
目次
1 日本のちまき
1.1 歴史
1.2 種類
2 中国のちまき
2.1 種類
2.2 有名店
3 東南アジアのちまき
3.1 シンガポールのちまき
3.2 カンボジアのちまき
3.3 ベトナムのちまき
4 関連項目
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承平年間(931?938)に編纂された『倭名類聚鈔』には「和名知萬木」という名で項目があり、もち米を植物の葉で包み、これを灰汁で煮込むという製法が載せられている。元々は灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食であった。その後、各地で改良や簡略化が行われ、特に京では餅の中に餡を包み込んだり、餅を葛餅に替えるなど和菓子化していった。灰汁笹巻き(新潟県村上市)
もともとササではなくチガヤの葉で巻いて作られたためちまきと呼ばれる。ただし、後述するように包む葉はチガヤ、ササ、タケの皮、ワラなど様様である。
江戸時代、1697年に刊行された本草書『本朝食鑑』には4種類の粽が紹介されている。
蒸らした米を搗き、餅にしてコモの葉で包んでイグサで縛り、湯で煮た物。クチナシの汁で餅を染める場合もある。
うるち米の団子を笹の葉で包んだ物。御所粽(ごしょちまき)、内裏粽(だいりちまき)とも呼ぶ。
もち米の餅をワラで包んだ飴粽(あんちまき)。
サザンカの根を焼いて作った灰汁でもち米を湿潤させ、これを原料に餅を作りワラで包んだ物。朝比奈粽(あさひなちまき)と呼ばれ、駿河国朝比奈の名物という。
このうち、2は現在の和菓子屋で作られる和菓子のちまきの原型であり、現在の餅の原料は葛に代わっている。笹の葉を用いたのは川端道喜という京の菓子職人であり道喜粽とも言われる。現在でも川端家は粽を製造しており、代表的な京菓子の一つである。京都をはじめ、各地の和菓子屋で製造されるちまきは大半がこのカテゴリーに入る物と思われる。端午の節句に作る店が多い。また、羊羹や麩饅頭をササで包んだものも、時としてちまきと呼ばれ、このカテゴリーから発展した物と考えられる。
3の飴粽は、餅が飴色になっているため、この名があるという。詳細は未詳。
4は最も原型に近いちまきであり、灰汁による保存と品質維持を期待した保存食といえる。鹿児島県で作られる「あくまき」、「つのまき」、長崎県で作られる「唐灰汁ちまき」、新潟県の「灰汁笹巻き」に似通った製法である。また、台湾においてもほぼ同じ製法のちまきが作られているという。ただし、この朝比奈粽そのものは現在は作られていない。江戸時代にはこの原型に近い製法が日本各地で用いられていた可能性はある。このカテゴリーは、灰汁の匂いや風味によって好き嫌いがはっきりする事がある。きな粉や砂糖を混ぜた醤油で食べる。
1は4から簡略化された形のちまきで、新潟県の「三角ちまき」など現在でもよく作られるちまきである。うるち米の粉で餅を作った後、これをササやコモの葉で包む。これを茹でるか蒸篭で蒸らして作る。そのままか、もしくは4に準じた食べ方をする。
中国においてちまきは、水分を吸わせたもち米を直接竹の葉で包み、ゆでる、もしくは蒸す方法で加熱して、作る方法が主流である。米といっしょに、味付けした肉、塩漬け卵、棗(なつめ)、栗などの具や、小豆餡などを加えることが多い。