粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)とは、満州(中国東北地方及びロシア・沿海地方地方)に住んでいたとされるツングース系民族。また、後にこの民族が住んでいた地域の名称ともなった。この粛慎という呼び名は周代・春秋戦国時代の華北を中心とする東アジア都市文化圏の人々(後に漢民族として統合されていく前身となった人々)による呼び名である。息慎(そくしん)・稷慎(しょくしん)とも表記される。
中国の周代の文献の中にしばしば見られるほか、日本の日本書紀の中にも粛慎の記述が見られる。しかし、中国文献中の粛慎と日本文献中の粛慎が同じものであるとは言い切れない。
後代の?婁・勿吉・靺鞨・女真(満州族)と同系の民族と考えられている。
目次
1 中国
1.1 書経
1.2 春秋左氏伝
1.3 国語
1.4 山海経
2 日本
2.1 欽明朝の粛慎
2.2 斉明朝の粛慎討伐
2.3 天武・持統朝の粛慎
2.4 日本書紀中の粛慎についての記述
2.4.1 欽明天皇5年(544年)12月
2.4.2 斉明天皇4年(658年)
2.4.3 斉明天皇5年(659年)3月
2.4.4 斉明天皇6年(660年)3月
2.4.5 斉明天皇6年(660年)5月
2.4.6 天武5年(676年)11月
2.4.7 持統8年(694年)1月23日
2.4.8 持統10年(696年)3月12日
3 注釈
4 参考文献
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中国では、粛慎は弓矢作りの得意な東北方の異民族として描写されている。その中国史上への最初の登場は舜代に遡り[1]、以降、聖天子が中国に現れるとその徳に引かれて貢物を奉りにくるという描かれ方をしている。中国最古の書物の1つである書経にも粛慎の記述はある。また、国語など複数の書物で、春秋時代の諸侯国の1つである陳において、孔子が粛慎の弓矢について説明する逸話がある。
前漢以降は、粛慎はほとんど文献に見られなくなった。代わって文献中には?婁が多々出現するようになり、?婁は粛慎の後裔として捉えられた。ただし、全く粛慎が出現しなくなったわけではない。例えば、前漢の司馬相如の子虚賦には、粛慎が登場してくるし、唐代に編纂された『晋書』には四夷伝のなかに倭人の条とともに粛慎氏の条が収録されている。子虚賦について言えば、周代について扱った作品であるから粛慎という名を使ったのである。また、晋書について言えば、実質的には?婁を扱っているが、古典の中で用いられている由緒ある粛慎という言葉を使ったほうが雅であるとして、粛慎という表題をつけたのである。
成王既伐東夷、肅慎來賀。王俾榮伯作『賄肅慎之命』。成王は既に東夷を討伐し、粛慎がお祝いを申し上げにきた。王の家来の榮伯は『賄粛慎之命』を作った。
肅慎・燕・亳、吾北土也。(昭公9年)(周の武王が殷に勝ってから)粛慎・燕・亳は我が国(周)の北の土地である。
仲尼曰「隼之來也遠矣。此肅慎氏之矢也。昔武王克商、通道于九夷、百蠻、使各以其方賄來貢、使無忘職業。於是肅慎氏貢?矢・石?、其長尺有咫。先王欲昭其令?之致遠也、以示後人、使永監焉、故銘其?曰『肅慎氏之貢矢』、以分大姫、配虞胡公而封諸陳。古者、分同姓以珍玉、展親也;分異姓以遠方之職貢、使無忘服也。故分陳以肅慎氏之貢。……」(魯語)(陳国の宮廷で隼が矢に刺されて死んでいるのが見つかり、陳の君主はこのことについて孔子に問うた。)仲尼(孔子)は、「隼は遠くからきたのです。これ(隼に刺さっている矢)は粛慎氏の矢です。昔、(周の)武王が商に勝ったとき、周辺の異民族に道が開け、各々(の民族)に自分の得意なものを貢物として持ってこさせることで、職能を忘れさせないようにしました。この時、粛慎氏は(?という木)でできた矢と石弓を持ってきました。(矢の)長さは1尺1咫(およそ36cm)ありました。先王(武王のこと)はその威令と人徳が遠方まで至っているということを明らかにしようと欲し、後の人に示すため、長くこれを見定めさせました。だからその矢の端の弓の弦にかけるところに『粛慎氏の貢物である矢』と記しました。そして大姫(武王の娘)に(弓矢を)分けて、虞胡公と結婚させ、(虞胡公を)ここ陳に封じました(土地を与えたということ)。古くは、(王と)姓が同じ者には、珍しい宝物を分け与えました。親戚を重視したからです。(王と)姓が異なる者には遠くからの(それぞれの民族の)生業に応じた貢物を分け与えました。服従することを忘れさせないためです。(すなわち、遠方の異民族ですら服従するのであるから、姓が異なるからといっても、服従しなくてはならないと思わせようとした)だから陳(という周の王室とは姓が異なる諸侯)には粛慎氏の貢物を分け与えたのです。……」と言った。
肅慎之國在白民北。有樹名曰雄常。先入伐帝、於此取之。(海外西経)粛慎の国は白民の北にある。雄常という名前の木がある。
晋の郭璞の注によると、粛慎の習慣として、衣服は着ないが、中国で、聖帝が即位すると、雄常の木の皮を剥いで、衣服にするとされている。
大荒之中有山、名曰不咸。有肅慎氏之國。(大荒北経)大荒の中に不咸をいう名の山がある。粛慎氏の国がある。
日本で最初の正史の日本書紀にも粛慎のことが記されている。ただ、日本書紀に出てくる粛慎が、中国の古典に出てくる粛慎と同一のものであるとする確証はない。