米野 智人
東京ヤクルトスワローズ No.51
基本情報
出身地北海道札幌市
生年月日1982年1月21日(26歳)
身長
体重181cm
76kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置捕手
プロ入り1999年 3位
初出場2001年9月7日
年俸2,600万円(推定)
経歴
北照高校
ヤクルトスワローズ・東京ヤクルトスワローズ(2000 - )
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米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。181cm、76kg、血液型はB。ポジションは捕手。右投右打。北海道札幌市出身。
目次
1 来歴・人物
2 球歴
3 通算成績
4 背番号
5 関連項目
6 外部リンク
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来歴・人物
小樽市の北照高から2000年、ドラフト3位でヤクルトに入団。
アマチュア時代は肩の強さとパンチ力が注目され、入団直後から古田敦也の後継捕手として注目されてきた。反面リードの不安定さと、変化球を苦にする傾向はアマ時代から指摘されている。
入団以来、致命的な打撃力の低さが問題点とされていたが、積極的に特打ちを行うことなどにより改善されつつある。2005年シーズン末には、退任する若松勉監督に指導を受け、打撃面での成長にお墨付きを貰った。その元監督の言葉通り、2006年は全く打てないという状況からは抜け出し、確実性には問題があるものの7本塁打を記録している。
しかしその一方で、2006年シーズンの後半に表れた「送球イップス」が心配されている。元々スローイングには定評があったが、ある試合の盗塁阻止の際の暴投をきっかけに、後半戦だけで10近い失策を記録している。ただし必ずしも精神的なものとは判断されておらず、2007年シーズンを迎えるにあたっては、グラブの改良などに着手している。また、球界を代表してきた古田敦也の全盛期と比較されると、やはりキャッチングやリードにも難がある。特にリードは単調な配球も多く、2006年は前の打席と同じ配球で痛打を浴びる場面も見られた。
2007年は正捕手に近い位置にいたにも関わらず、オープン戦で16打数1安打と主に打撃で結果を残す事が出来なかった。その為、開幕後はスタメンマスクを打撃で勝る福川将和に譲る場面が増え、2番手捕手に甘んじる事になった。その後4月末に福川の打率が下がってきた事もあって、5月いっぱいはスタメン起用が続いた。しかし米野自身も1割台の打率に終始し、正捕手に定着する事が出来なかった。守備面では前年までのような送球の失策などは減少したが、古田からリード面での苦言も出されている。
同年の7月中旬に約2年半ぶりに二軍に降格すると、川本良平の台頭もあり、そのままシーズンを終える事となった。このファーム降格は、実戦で経験を積む目的も兼ねていたが、34試合で.321、3本塁打13打点と打撃面で進展を見せている。試合数が少ないとはいえ、ファームで2割5分を超える打率を記録したのは自身初めての事であった。
2008年シーズン現在、前半戦こそは一軍の控え捕手(第3捕手)だったが、衣川篤史の台頭や川本良平の怪我復帰で二軍に抹消される形となり、二軍でも出番が無くなってしまった。
同年7月12日、二軍の試合にてファールチップを右手親指に当て、脱臼骨折し戦線離脱し今季絶望もささやかれたが驚異的な回復を見せ、9月13日に二軍戦で実戦に復帰。その一週間後、福川将和の怪我により6月24日から約3ヶ月ぶりに一軍復帰を果たした。
手稲東ファイターズ→新琴似シニアリトル→北照高等学校→ヤクルト(1999年ドラフト3位指名)
年
度球
団試
合
数打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打
数打
点盗
塁犠
打犠
飛四
死
球三
振併
殺
打打
率
2000年ヤクルト一軍出場無し
2001年ヤクルト110000000000000.000
2002年ヤクルト22514100011320103150.196
2003年ヤクルト一軍出場無し
2004年ヤクルト15163100010100230.063
2005年ヤクルト3462690011242512180.145
2006年東京ヤクルト1163403280141711737012327752.235
2007年東京ヤクルト32788143032690205251.179
2008年東京ヤクルト16101100011010210.100
通算実働6年2365585411517112170533214411373.206
背番号
51 (2000年 - )
関連項目
北海道出身の人物一覧
若松勉