米西戦争
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米西戦争
戦争:米西戦争
年月日:1898年4月25日 - 8月12日
場所:西インド諸島太平洋
結果:アメリカ・キューバ・フィリピン連合軍の勝利
交戦勢力
アメリカ合衆国
キューバ共和国
フィリピン共和国 スペイン
指揮官
ネルソン・A・マイルズ
ジョージ・デューイ
マクシモ・ゴメス
エミリオ・アギナルド パスカル・カーベラ

米西戦争(べいせいせんそう)は、1898年アメリカ合衆国スペインの間で起きた戦争である。結果としてカリブ海および太平洋のスペインの旧植民地に対する管理権をアメリカが獲得した。キューバ独立軍との関係から、スペイン・アメリカ・キューバ戦争(米西玖戦争)とも呼ばれる。
目次

1 背景

2 戦争の始まり

2.1 フィリピン

2.2 キューバ

2.3 グアム島


3 戦争の終了

4 余波

5 関連項目

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背景

世界的な強国としてのスペインの地位は19世紀後半までの数世紀の間に低下し、太平洋アフリカおよび西インド諸島でのほんの少数の散在した植民地しか残らなかった。その多くは独立し、また多くの地域は独立のための運動を繰り広げていた。フィリピンではエミリオ・アギナルドにより、キューバではホセ・マルティなどにより既に数十年に渡るゲリラ戦争が活動していたが、スペイン政府はこれらの脅威に対する金融あるいは人的資源を持っていなかった。そこでキューバに於いてキャンプを構築し住民と独立軍を分離し支援を止めさせる作戦を布告した。スペインは、さらに反逆者と疑わしい人々の多くを処刑し、村々に残酷な扱いを行った。1898年にはキューバ島の約半分がマクシモ・ゴメス将軍の率いる独立軍に支配され、結局スペインの立場は完全には回復しなかった。

キューバでのこれらの出来事は、アメリカの新聞が読者数を伸ばそうとしていた時期と一致した。各紙はスペインのキューバ人に対する残虐行為を誇大に報道し、アメリカ国民の人道的感情を刺激した。そしてキューバへの介入を求める勢力の増大を招いた。

そのため開戦への他の圧力、アメリカ海軍は増強されていたが、実戦は未経験であった。海軍は開戦の一年以上前にフィリピンでスペイン軍を攻撃するための計画を作成していた。西部への拡張およびアメリカインディアンとの大規模交戦の終了は陸軍の任務を減少させ、軍の指導陣は新しい任務を望んだ。早期からアメリカ人の多数はキューバが彼らのものであると考えており、マニフェスト・デスティニーに関する理論はちょうどフロリダの沖合に非常に魅力的に見える島を作った。キューバの経済の多くは既にアメリカの手にあり、ほとんどの貿易(その多くは闇市場だった)はアメリカとの間のものであった。何人かの財界人は、開戦を同様に要求した。ネブラスカ州上院議員ジョン・M・サーストンの言葉:「スペインとの戦いは、すべてのアメリカの鉄道ビジネスおよび所得を増加させるだろう。それは、すべてのアメリカの工場の出力を増加させるだろう。それは、産業と国内通商のすべての流通を刺激するだろう。」


戦争の始まり

1898年2月15日にハバナ湾で米海軍の戦艦メイン (USS Maine, ACR-1) が爆発、沈没し 260 名の乗員を失う事故が発生した(この中には 8 名の日本人コックとボーイが含まれていた)。爆発の原因に関する証拠とされたものは矛盾が多く決定的なものが無かったが、ニューヨーク・ジャーナル、ニューヨーク・ワールドの 2 紙を始めとした当時の米国のメディアは、スペイン人による卑劣なサボタージュが原因であると主張した。「メインを思い出せ!くたばれスペイン!」という好戦的で感情的なスローガンを伴ったこの報道は、一層米国民を刺激することとなった。この愛国的で好戦的な風潮はスプレッド・イーグリズムあるいは主戦論として知られている。

爆発原因に関する専門家の見解は現在も定まっていないが、燃料の石炭の偶然の爆発によるものとするのが一般的であり、コンピューター・シミュレーションによって確認もされている。一方石炭自体にその原因を求めるものや、米国を戦争に引き込もうとするキューバ人革命家によるサボタージュによるものとする異論も存在するが、スペインが戦争に消極的であっただろうという点では一致している。

マッキンレー大統領は開戦に同意せず世論に対して長い間持ちこたえた。しかしメイン号の爆発は、戦争への世論を非常に強力に形成した。スペイン首相サガスタ (Praxedes Mateo Sagasta) は、キューバから職員を撤退させてキューバ人に自治を与えるなど、戦争を防ぐ為の多くの努力をした。しかしながらこれはキューバの完全独立には不十分なもので有り、大きく現状を変更するには足りなかった。

4月11日、マッキンレー大統領は内戦の終了を目的としてキューバへ米軍を派遣する権限を求める議案を議会に提出。4月19日に議会はキューバの自由と独立を求める共同宣言を承認し、大統領はスペインの撤退を要求する為に軍事力を行使することを承認した。これを受けて、スペインはアメリカとの外交関係を停止。4月25日に連邦議会はアメリカとスペインの間の戦争状態が4月21日以来存在することを宣言した(議会はその後、4月20日に戦争の宣言をさかのぼらせる議決を承認した)。


フィリピン

フィリピンでの最初の戦闘は5月1日のマニラ湾の戦いである。ジョージ・デューイ提督率いるアメリカ太平洋艦隊が、マニラ湾でパトリコ・モントージョ将軍率いる 7 隻のスペイン艦隊を攻撃した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki