簡易宿所(かんいしゅくしょ)とは、旅館業法における4種(ホテル、旅館、簡易宿所、下宿)の旅館営業許可業種のうちのひとつ。スポーツ合宿所、民宿もこれに該当する事が多い。
旅館業が5部屋以上の客室とそれに伴う定員を必要とすることから、4部屋までとか2段ベッド等階層式寝台を設置している施設が該当となる。カプセルホテルもこれに該当する。
目次
1 簡易旅館
1.1 ドヤ街
1.2 街の変化と施設の変化
2 関連項目
3 外部リンク
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詳細は木賃宿を参照
一般にはきわめて低額で宿泊できる民間施設のことである。通常、旅館業として営まれているが、主に住所不定の日雇い労働者等がそこを常宿として生活する場合が多く、旅館というよりも日割り計算のアパートと言ったほうが近い。素泊まりが通常で、宿泊費は前払いを原則とする。 2008年現在で、宿代一日500円が最低で、大阪市西成区では一泊千円台の宿が多くあり、東京や横浜だと一泊二千円以上の宿も結構見受けられる。 広さは、2畳以上で3畳の部屋が多くある。畳の部屋に布団が敷いてあるか、またはベットが備え付けられている。
かつては通称ドヤと言われていた。これは宿(やど)を「人が住むところではない」と自嘲的に逆さまに読んだのが始まりといわれる。日雇い労働者が多く、彼らが寝泊まりする簡易宿所の多く立ち並ぶ街は「ドヤ街」と呼ばれた。 こうした場所には労働者を求めた日雇いの求人(手配師)が毎朝多数やってくることから寄せ場とも言われ、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)、東京の山谷が三大寄せ場として有名である。こうした街は、戦後から高度成長期の間に全盛期を迎えた。他にも名古屋の笹島、神戸の新川や新開地、福岡市の築港、広島の駅南口、川崎駅周辺にもドヤ街が形成されたといわれているが、現在では都市再開発や区画整理などによりほとんど消滅している(但し、名古屋の笹島等は寄せ場としては機能している)。
終戦直後から高度成長末期の昭和40年代頃まで、首都圏では農閑期(冬季)の季節労働者(出稼ぎ)を受け入れるための施設・地域が多数生まれ「ドヤ街」を形成した。西日本では大阪市が1947年から近藤-(中井)-中馬-大島と社会党系の市長を連続して輩出し、以降も自社相乗りの大阪市制を継承し浮浪者・貧困対策を重視した経緯から、西日本各地の貧困・浮浪者層が集積し釜が崎を形成した[要出典]。
ドヤは、相部屋から一畳一間の狭いながらも個室形態を持つものまで様々あったが、1990年代以降、工事現場等で機械化が進みドヤ街の労働力需要が低下すると、人口や住民構成に変化が生じ始めた。これに呼応するように、簡易宿所も改装を行う所が増え、6畳間やカプセルホテルタイプなど一般の旅館と外見上の区別が付かないようになった。こうしたタイプの宿泊所は外国のガイドブックに「安価で安全な宿」として紹介されるに至り、外国人のバックパッカーが訪れる姿も珍しくなくなった。しかし未だに治安の面に問題があるなどまだまだ解決しなくてはいけない課題は沢山ある。
関連項目
無料低額宿泊所
ホームレス
ドヤ街
寿町 (横浜市)
山谷 (東京都)
あいりん地区
その他
ゲストハウス
ドミトリー
ライダーハウス
タコ部屋労働
外部リンク
⇒大阪の安い宿
⇒東京の安い宿
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 宿泊施設 | 貧困 | 住宅
更新日時:2008年10月9日(木)14:29
取得日時:2008/10/10 14:29