等々力陸上競技場
施設データ
所在地神奈川県川崎市中原区等々力1-1
(等々力緑地内)
開場1962年
拡張1986年、1994年、1995年改修
所有者川崎市
運用者川崎市環境局緑政部中部公園事務所
グラウンド天然芝
大型映像装置オーロラビジョン×1
使用チーム・開催試合
川崎フロンターレ(Jリーグ)
収容能力
25,000人
アクセス
JR南武線・武蔵中原駅、東急東横線・新丸子駅より徒歩約15分
武蔵小杉駅他から路線バス。イベント時は直行バス
川崎市等々力陸上競技場(かわさきし とどろきりくじょうきょうぎじょう)は、神奈川県川崎市中原区の等々力緑地内にある陸上競技場。球技場としても使用される。Jリーグ・川崎フロンターレがホームスタジアムとして使用している。施設は川崎市が所有し、川崎市公園緑地協会が運営管理を行っている。
目次
1 歴史
2 施設概要
3 交通
4 緑地内その他の施設
5 周辺施設
6 関連項目
7 外部リンク
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古くから等々力と呼ばれたこの地域は多摩川が蛇行する氾濫原で、1912年に川の流れが整理されて境界が変更され、神奈川県橘樹郡中原町に編入されるまでは東京府荏原郡玉川村に属していた。その後は建築資材として東京方面に出荷する多摩川の砂利採取が進んだが、1936年からは全面禁止され、その跡地に東横池と呼ばれる池が点在するようになった。また、中原町は1933年に川崎市に編入された。
第二次世界大戦後、川崎市が東横池の一部で買収と埋め立てを計画し、整備された公園施設の一部として1962年に陸上競技場が完成した。メインスタンドのみがベンチ、バックスタンドとサイドスタンドは芝生席という、当時としては標準的な施設であった。当初から川崎市民のスポーツ施設として活用される一方、1965年から始まったサッカーの日本リーグでは読売クラブ、東芝(現コンサドーレ札幌)、NKK(日本鋼管)がホームスタジアムとしていた(読売クラブは東京都稲城市に本拠があるため、東京都内各地の主要競技場も使用された)。なお、1972年に川崎市が政令指定都市になり、同競技場を含む等々力緑地一帯は中原区に属した。
1993年のJリーグ発足時には、読売クラブが改名した読売ヴェルディ(ヴェルディ川崎、現東京ヴェルディ)が引き続きホームスタジアムとして使用したが、観客収容数は約1万人弱であり、J1規格を満たさないなど施設拡充が間に合わず、ピッチに敷設された天然芝の剥がれや枯れを隠すため、緑色に塗装した砂をピッチに散布して急場しのぎを図ったという珍事もあった。Jリーグ一の人気チームとなったヴェルディ戦のチケットは入手が困難となり、チームの高い人気にそぐわない小さなスタジアムであるとしてヴェルディやそのサポーターからの不満を更に強める結果を招いた。一方、ヴェルディはJリーグ発足前から東京移転の希望を公言しており、チームを引き留めるためにも施設整備は急務で、川崎市の長期構想では川崎区臨海部に国際級スタジアム(5-7万人規模)を建設する構想まで盛り込まれた。
その後、同年秋から2年間をかけてメインの陸上競技場でスタンドの増築を施すことになり、まず1994年秋にゴール裏(サイドスタンド)を立見に、バックスタンドを二層スタンドにして1万6000人収容で仮オープンした。1995年にはゴール裏も二層式となり2万5000人収容でグランドオープンした。併せてオーロラビジョンをホーム側ゴール裏、得点掲示が出来る電光掲示板をアウェー側ゴール裏にそれぞれ設置した。バックスタンド一階には大型の入場口とスタンドに続くコンコースが設定されている。ただし、ヴェルディはこの年まで3年連続出場したチャンピオンシップでの主催試合をいずれも東京都内の国立霞ヶ丘陸上競技場で開催し、川崎市との関係が一層疎遠になる原因となった。また、この頃からヴェルディ戦の観客動員数が急減し、グランドオープン後の等々力は閑散とするようになった。
1997年には富士通サッカー部を前身とする川崎フロンターレが誕生、等々力に本拠地を置く2つ目のプロサッカークラブとなった。フロンターレは1999年のJ2優勝でJ1昇格を果たし、2000年には公式戦での「川崎ダービー」4試合がすべて等々力で実現した。(ダービーの正式な定義としては、同一ホームタウン・同一スタジアムを本拠とするチーム同士の対決であるため、川崎ダービーは当時のJ1唯一の「真のダービーマッチ」といえた)J1ではヴェルディの1勝1分、Jリーグヤマザキナビスコカップ準々決勝ではフロンターレが1勝1分で勝ち抜けた。
しかし、フロンターレは2000年のJ1年間成績で16チーム中最下位となり、1シーズンでJ2に陥落した。加えて、2001年からヴェルディが東京都調布市の東京スタジアム(現味の素スタジアム)へ移転したため、川崎ダービーは1年で終了し、等々力(および川崎市内)でのJ1開催は2005年のフロンターレJ1再昇格まで待つ事になった。
2002年、川崎市がワールドカップにおけるクロアチアキャンプ誘致を目指し、芝生の全面張り替えやスタンドの一部改修などを実施したが、結局キャンプ誘致には失敗した。