第40回衆議院議員総選挙(だい40かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1993年(平成5年)7月18日に行われた日本の国会議員(衆議院議員)選挙である。
目次
1 概説
2 選挙データ
2.1 解散日
2.1.1 解散名
2.2 公示日
2.3 投票日
2.4 改選数
2.5 選挙制度
3 主な争点
3.1 政策
3.2 政局
4 選挙結果
4.1 投票率
4.2 政党
5 議員
5.1 この選挙で初当選
5.2 この選挙で返り咲き
5.3 この選挙で引退
5.4 この選挙で落選
6 選挙後
6.1 国会
6.2 政党
7 関連項目
8 日本の国政選挙一覧
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前年の第16回参院選で議席を獲得した日本新党と、選挙前に自民党から離党した議員らが中心となって結成された新生党、新党さきがけが躍進し、「新党ブーム」が巻き起こった。党の分裂により過半数を割り込んでいた自民党は、公示前議席を維持するに留まり、結局単独過半数を獲得することはできなかった。他方日本社会党は、「新党ブーム」に埋没する形で結党以来の最悪の惨敗となる。日本共産党が1議席減の他、他党は全て現状維持か議席を増やしており、社会党の惨敗が際だつ形となった。二大政党が共に目標議席を下回り、国民の既存政党に対する不信感を裏付ける結果となった。
社会党、新生党、公明党、民社党、社会民主連合の5党は選挙の前から連立協議を始めていたが、合計195議席で過半数には届かず、自民党も223議席で過半数に届かなかったことから、日本新党と新党さきがけがキャスティング・ボートを握った。双方との交渉の結果、両党は非自民勢力・民主改革連合を加えた8党派による連立政権樹立で合意。この結果55年体制が崩壊、日本新党代表細川護煕を首班とする細川内閣が成立した。
自民党は公示前議席を維持し、衆議院最大勢力であるにもかかわらず、結党以来初めて野党に転落した。一方の社会党は、結党以来の大惨敗でありながら、与党第一党として衆議院議長や5つの国務大臣ポストを獲得した。社会党にとっては、他党との協調姿勢が党の存在意義を希薄化させたり路線変更を余儀なくされる要因となったため、政権与党であり続けたにもかかわらず、あべこべに二大政党の一方の雄としての役割を致命的に喪失してゆく転換点ともなった。
解散日
1993年(平成5年)6月18日
解散名
嘘つき解散
政治改革解散
公示日
1993年(平成5年)7月4日
7月7日から9日まで予定されている東京サミットを控え、政治的および警備上理由から政府側は7月11日公示・25日投票を望んだ。しかし自由民主党側は、22日に予定された金丸信の脱税事件の初公判が選挙に悪印象となることをおそれ4日公示・18日投票を要求した。最終的に党側が押し切る形となり、首相(党総裁)である宮澤喜一の指導力低下を印象づけることとなった。