第4次伊藤内閣(だいよじ-いとう-ないかく)は、1900年(明治33年)10月19日に成立した内閣である。首班は第10代内閣総理大臣・伊藤博文。
これまでの3度の伊藤内閣と違って伊藤系官僚と旧憲政党によって結成された立憲政友会を与党とする事実上の政党内閣である。1900年10月1日に同党が結成されると、前首相山縣有朋が結党直後の同党を揺さぶるために総裁に就任した伊藤に強引に政権を押し付ける形で成立した。外務大臣と軍部大臣以外は全員が政友会に入党していた。だが、山縣は陸軍と貴族院を利用して政友会攻撃を行い、明治天皇の詔書によって漸く事態を収拾した。加えて政友会の実力者であった逓信大臣星亨が汚職で辞職に追い込まれると、未だに融和が進んでいなかった伊藤系官僚と旧憲政党系の意見対立が露呈しする。一方、政友会内部では鉄道の新規着工を要求する予算を求める声が上がり、それを新しい逓信大臣であった原敬が必死に押止めていたが、そんな折に渡辺国武大蔵大臣が「公債に依存した事業の全停止」提案した。当時、鉄道敷設法によって鉄道建設は鉄道公債の発行によって全て賄うこととされており、この提案は新規どころか既存の鉄道工事も全て停止すると言っているのにも等しかった。これに激怒した原や他の閣僚達の抗議を受けた渡辺が孤立するに至って伊藤は辞任を表明、5月10日から班列であった西園寺公望枢密院議長が臨時首相を務めた。
第4次伊藤内閣明治33年
10月19日明治33年
10月24日明治33年
10月27日明治33年
12月22日明治33年
12月23日明治34年
5月10日明治34年
5月14日
内閣総理大臣伊藤博文伊藤博文伊藤博文
(西園寺公望が12月12日まで臨時代理)伊藤博文伊藤博文西園寺公望
(臨時兼務)西園寺公望
(臨時兼務)
外務大臣加藤高明加藤高明加藤高明加藤高明加藤高明加藤高明加藤高明
内務大臣末松謙澄末松謙澄末松謙澄末松謙澄末松謙澄末松謙澄末松謙澄
大蔵大臣渡邊國武渡邊國武渡邊國武渡邊國武渡邊國武渡邊國武西園寺公望
(臨時兼務)
陸軍大臣桂太郎桂太郎桂太郎桂太郎兒玉源太郎
(兼務)兒玉源太郎
(兼務)兒玉源太郎
(兼務)
海軍大臣山本權兵衞山本權兵衞山本權兵衞山本權兵衞山本權兵衞山本權兵衞山本權兵衞
司法大臣金子堅太郎金子堅太郎金子堅太郎金子堅太郎金子堅太郎金子堅太郎金子堅太郎
文部大臣松田正久松田正久松田正久松田正久松田正久松田正久松田正久
農商務大臣林有造林有造林有造林有造林有造林有造林有造
逓信大臣星亨星亨星亨
(明治33年12月21日まで)原敬原敬原敬原敬
班列 西園寺公望西園寺公望西園寺公望西園寺公望西園寺公望
内閣書記官長鮫島武之助鮫島武之助鮫島武之助鮫島武之助鮫島武之助鮫島武之助鮫島武之助
法制局長官平田東助奥田義人奥田義人奥田義人奥田義人奥田義人奥田義人
外部リンク
⇒首相官邸 - 第4次伊藤内閣
日本国歴代内閣
第2次山縣内閣 第4次伊藤内閣
1900年10月19日 - 1901年6月2日 第1次桂内閣
伊藤1
黒田
山縣1
松方1
伊藤2
松方2
伊藤3
大隈1
山縣2
伊藤4
加藤(友)
山本2
清浦
加藤(高)
若槻1
田中(義)
濱口
若槻2
犬養