第34回衆議院議員総選挙(だい34かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1976年(昭和51年)12月5日に行われた衆議院の総選挙。
目次
1 概説
2 選挙データ
2.1 内閣
2.2 解散日
2.2.1 解散名
2.3 投票日
2.4 改選数
2.5 選挙制度
3 選挙結果
3.1 投票率
3.2 党派別獲得議席
3.2.1 自由民主党
3.2.2 日本社会党
3.2.3 公明党
3.2.4 民社党
3.2.5 日本共産党
3.2.6 新自由クラブ
3.2.7 無所属
4 議員
4.1 この選挙で初当選
4.2 この選挙で返り咲き
4.3 この選挙で引退
4.4 この選挙で落選
5 影響
6 関連項目
7 日本の国政選挙一覧
8 外部リンク
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戦後唯一、衆議院議員の任期4年満了に伴う総選挙である。また、各新聞ではロッキード選挙という呼び方が広く使われた。
1972年に行われた前回の第33回衆議院議員総選挙は田中角栄内閣によって行われたが、その後田中は金脈問題の追及を受けて1974年12月に退陣し、1975年からはロッキード事件による追及を受けた。田中を継いで政治倫理の確立を唱えた三木武夫首相はロッキード事件の解明を進めたが、田中派を中心とした自民党内の大多数から反発を受け、三木おろしの前に孤立した。
それでも三木は世論の支持を背景に政権を維持し、1976年7月27日の田中逮捕に際して法務大臣の稲葉修は指揮権を発動しなかったため、三木と稲葉に対する党内の憎悪は頂点に達した。この状況で、三木が構想していたとされる衆議院解散・総選挙は支持を得られず、遂に三木は内閣総理大臣が持つ衆議院解散権を封じられたまま衆議院の任期満了を迎えた。
なお、田中内閣は1974年に衆議院での小選挙区比例代表並立制導入を含む公職選挙法改正案を提出したが、田中の前に小選挙区制法案を提出した鳩山一郎と同様、自派に有利な選挙区割りをするカクマンダーという批判を浴びて、断念した。その結果、この総選挙も従来通り中選挙区制で行われた。また大都市部での有権者増加に伴い、定数是正が行われ、総数は491から511へ20議席増加した。
解散日
任期満了
1976年(昭和51年)12月9日