第27回NHK紅白歌合戦は、1976年12月31日にNHKホールで行われた、通算27回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。
目次
1 概要
2 司会者
3 演奏
4 審査員
5 出場歌手
6 主なゲスト出演者
7 関連項目
8 外部リンク
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概要
オープニングでは、最初に新宿の高層ビルに映し出された『紅白』の2文字が現れ、次にNHKホール前の噴水へ移り、やがてホール内に移って効果音後に開幕ファンファーレが鳴り響き、司会者が「第27回NHK紅白歌合戦!!」と開会宣言、入場行進曲の「スタイン・ソング」(乾杯の歌)に入るエフェクトが取り入れられていた。
この回まで、出場歌手名の表示はゴシック体が使われていた。また出場回数は表示されなくなった。
例年は両軍の司会者により行われるのが慣例であった冒頭での選手宣誓はこの年以後、出場歌手のペアで担当することとなった。この年は司会経験のある水前寺清子と森進一が行った。
中間発表後に白組の特別ゲストとして王貞治が登場。王が投手の草刈正雄(応援ゲスト)、捕手の三橋美智也らのバッテリーを相手に、ステージからホールの客席に向けてバッティングし、反響を呼んだ。
この年、太田裕美が「木綿のハンカチーフ」で初出場。当時大ヒットの同曲は、本来4番まで歌詞があるが、NHK側は時間の都合上1番と4番だけにする予定だった。しかし太田の関係者が「1・4番だけだとこの歌全体の意味が成り立たない」との理由で、結局1・3・4番を歌う事に。その替わりに曲のテンポを速くする事となり、紅白歌合戦本番で太田が歌う「木綿のハンカチーフ」は、オリジナルレコードよりもかなり速いテンポで演奏されていた。
沢田研二は5月に新幹線車内で男性乗客に苦言を発せられたことで暴行を働き、その反省から同回の出場を辞退している。
初代「御三家」の中で唯一残っていた橋幸夫は翌年に落選し、初出場以来の連続記録がいったん途切れる。橋は14年後の第41回とさらに8年後の第49回で二度復帰を果たした。両方とも「いつでも夢を」を披露した(前者はブラジル・サンパウロからの衛星生中継、後者は橋の恩師である作曲家・吉田正を偲んで歌われた)。
フォーリーブスも翌年に落選し、初出場以来の連続記録が途切れる。そして同回が現役時代最後の紅白となった(1978年に解散、2002年に再結成したが出場はならなかった)。
堺正章も翌年に落選、連続記録が途切れる。その15年後の第42回で白組の司会を第44回まで3年連続で務め、第50回ではかまやつひろし、井上堯之とのユニット「ソン・フィルトル」として、歌手として23年ぶりに紅白出場を果たした。
この年最大のヒット曲となった「およげ!たいやきくん」の子門真人と、新人賞レースを総なめした内藤やす子が落選した。前者は民放の番組から誕生したヒット曲で、まだNHKには強い規制があったとみられるが、両者ともカーリーヘアで引っかかったといわれている。10年ほど前のGSブームで、長髪のグループ(タイガース、テンプターズ、スパイダース等)がNHKから出演を拒否されたときの再来だとNHKの“純潔主義”を批判する雑誌の記事もあった。なお、内藤は13年後の第40回にデビュー15年目にして初出場を果たした。一方、子門は一度も紅白歌合戦に呼ばれることなく事実上引退した。
水前寺清子の「鬼面児」では、石川県能登地方の御神乗太鼓がバックで演奏していた。
都はるみはこの年の「北の宿から」の大ヒットの勢いに乗り、1957年?1975年まで19回にわたり美空ひばり・島倉千代子の独擅場となっていた紅組トリ(大トリ)の座を出場12回目にして初めて射止めた。
例年、エンディングでの優勝チーム司会者への優勝旗贈呈は歴代、NHKの芸能局長(1974・1975年は副放送総局長)が行っていたが、この年はNHKの野球解説を担当していた川上哲治がその役を務めた。
司会者
紅組司会:佐良直美
白組司会:山川静夫アナウンサー
総合司会:相川浩アナウンサー
紅組応援団長:浅茅陽子(この年上期の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のヒロイン・小野間真琴役)、仁科明子(『その人は今…』の美佐役)
白組応援団長:中条静夫(『雲のじゅうたん』のヒロインの父・小野間左衛門役)、草刈正雄